角栄邸の火事/皇太子妃
今日のジムの冷水浴は、水温が14度とかなり低めでした。
昨年末は12度という最低を記録し、さすがにこれに三分間浸かることはできず早々に飛び出しましたが、その前は22度と生暖かく、なかなか定まりません。
着替えて外に出たらものすごい雷雨。
今年は激しい一年になりそうな予感がしました。
年明けは能登大地震と日航機墜落の大災害が続きましたが、その後も田中角栄邸が火事で消失したというニュースは私のような和敬塾出身者には他人事ではありませんでした。
なにしろ田中邸は隣家でしたから。
彼の没後、広大な屋敷(目白御殿)は相続税の問題で文京区に物納され、今は運動公園になっていますが、そこに屋敷の一部が残っていたとは知りませんでした。
真紀子さんの線香の火が原因という解説でしたが、まだ80歳なのでボケたわけではなさそうです。
これは今は亡き田中邸の門で、ここを出入りする真紀子氏を見たという塾生は多い(私は見たくもなかったが)。
もう一つ、こんな記事(画像)を見つけました。
正田美智子は皇太子の嫁には相応しくないという主張です。
主な論点は、彼女はこれまで25回も見合いしても決まらなかったようなアバズレで、ようやく波多野氏と婚約したが、皇太子妃にという話が出て正田家から婚約解消したそうだ。すでに深い関係にあり、そんな純潔ではない女性は皇太子妃として不適格である、というものです。
随分露骨に論じているなあと思いますが、当時の国会でもかなり多くの否定意見が出て論戦があったそうで、例の「新◯民か粉屋の娘か知らないが」という発言もその時のもののようです。この記事もあるいはその一部かもしれませんが、そういえば和敬塾時代の友人で館林出身のN君(故人)が、正田家のルーツについてここには書けないようなネガティブなことを言っていたことを思い出しました。当時の私はとてもそれを信じる気になれませんでしたが、こんな記事を読むと本当に何かあったのかもしれないと思いたくなります。
しかし、国会での議論はこの一度だけで、ある日突然に婚約発表がなされたそうです。それも日本ではなく米国からの第一報という形で(Newsweek誌)。皇太子が正田美智子に首ったけなのを知り、小泉信三が米国と図って強引にまとめたと言われています。
後に、自分の後継に明仁親王を推さず、(明仁を飛ばして)浩宮ではダメかと言ったとされる昭和天皇は、皇太子もその嫁も信用していなかったように見えますが、こんな記事を読むとさもありなんです。
ついでに言うと、昭和天皇は秋篠宮の結婚問題に関連して、日記に「川嶋某不快なり」と記しているそうです。こちらにも何かありそうです。そういえば「明仁の嫁」は大の麻雀好きで、宮殿に麻雀室を作り、川嶋某などといつも麻雀をしていたそうで、私のような下層民でも親から麻雀なんてするもんじゃないと言われて育ったことを想うと、どちらもとても良家の育ちとは思えません。
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