猫も人間もトイレは最後まで
チャーちゃんが亡くなる時、最後までよろよろしながら必死でトイレに行こうとした姿がどうしても忘れられません。
彼は雨の降るなか、ベランダに出て自然の息遣いを求め続け、抱きかかえて室内に連れ戻してもまた外に出たがり、トイレシートを敷き詰めた酸素ケージからも脱出していつものトイレに這うようにして向かいました。
自然と、トイレ。
これが彼の最後まで求めたものでした。
在宅緩和ケア医の萬田緑平さんが、『人は亡くなるその瞬間も「トイレに行きたい」もの』という一文を記していて、一読して激しく共感しました。彼は言います。
「多くの人が亡くなる直前までもつ欲求は、オムツに排泄するのではなく、これまでと同じようにトイレに行きたいということだ」
チャーちゃんだ! と思いました。
萬田さんは、犬の例を挙げてこう述べています:
亡くなる数日前になると、犬は横たわったまま、ずっと動かずに弱い息をしていて、いつ逝ってもおかしくないように見えます。ところが、そんな状態なのにトイレの時だけはよろよろと立って、ちゃんとおしっこをするのです。その様子はまさに人間と同じ。その姿を見て、人間も犬もトイレに行くというのは“本能”と説明してもいいのかもしれない、と思いました。
亡くなる当日は、下顎呼吸に移り、呼吸が止まったかな? と思うとしばらくしてまた吸ったりを繰り返し、優しい言葉をかけてもらいながら、最期の息を鳴き声とともに吐ききって穏やかな寝顔で逝きました。
全く同じでした。
彼の言葉を続けます。
「おむつにしたら?」という言葉は患者さんにとって、「そろそろ生きるのを諦めたら?」というのと同義語であり、「トイレに行きたい」というのは「私は生きている!」という叫びかもしれない
辛くても眠れなくても、頑張って歩いてトイレに行っている人の方が長生きです
トイレ問題と、「歩いてるうちは死なない」ということは繋がっていて、実はトイレに歩いていっているおかげで生きていられるんです
この記事に対するネットのコメントは、それはひどいものでした。
トイレのたびにいちいち付き添いしていたら、介護する方はたまったものじゃない、というのです。
そして萬田医師に対する罵詈雑言の数々…。
介護する側の感想としては理解できないわけではありませんが、人が死ぬときに一番求めているものが自分で歩いていくトイレだとしたら、そう簡単におむつをさせて放っておけばいいということにはならないのではないでしょうか。
コスパとかタイパの問題ではないでしょう。
私たちは少なくとも、チャーちゃんにそんなことはできませんでした。
コメント