本が読めなくなってきた
最近本が読めなくなりました。
先日図書館で借りた伊与原新『翠雨の人』も、期待してページを開いた内田樹『日本型コミューン主義の擁護と顕彰 権藤成卿の人と思想』も、ほとんど読むことができずに終わりました。
一つの理由は、ご推察通り視力の低下によるものです。
さらに同じ姿勢を続けるとすぐ疲れてしまう腰痛持ちの宿痾もあります。
しかし、どうやらそれだけではなく、そもそも私にとっての読書の意味や価値が変わってしまったようなのです。
一言で言えば、今まで通りの姿勢で読書に取り組むことに価値と意味を見出せなくなったのです。
これまで、何のために読書してきたのか考えてみると、一つは視野を広げるため、もう一つは自分のOSをアップデートするためでした。
読書からさまざまな知識を仕入れ、自分の知っている世界を広げることで知的好奇心を満足させることは基本中の基本ですが、さらに自分という人間の「造り」をより上等なものにすることも読書の大きな目的でした。
ところが自分自身の高齢化が進み、もうこれ以上世界を広げる必要性を感じなくなってきたことと、自分を進化させることより劣化させないことの方が切実になってきた(笑)ことで、読書に対する意欲が薄れてきたように思います。
さらに、えげつなく言えば、もう世界がどうなろうと知ったことじゃない・・・のです。
寂しいけれどこれが私の現実です。
辻邦生さんは、体調を崩されてから亡くなるまでの間、軽井沢の山荘の窓から毎日外の景色を眺め、午前中はグールドのバッハを、午後はマーラーの交響曲を聴いて過ごされたそうです。
かつて奥様(佐保子さん)が「この人は洞窟の奥で火がチラチラしてるような音楽が好きなんですよ」と笑いながらおっしゃっていましたから、昔はワグナーなどが好みだったようですが、晩年は違ったんですね。
それでいいんだ、と思います。
晩年とはそういう時間ですから。
マーラーについて言えば、私は4番が好きです。
特に第三楽章のしみじみとした情緒に打たれます。
大好きなアッバード=ルツェルン響の演奏を貼っておきます(26:18から第三楽章)。
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