加速主義を理解する
内田樹が最近話題の加速主義について歯切れの良い文章で決めつけていましたが、良い理解だと思ったので一部を引用しておきます。全文は『なぜ世界はこんなにも壊れたがるのか? 内田樹が語る「苛立ちの時代」の正体』(AERA Books)。
歴史を律している文脈は、いま世界は「大洪水」に向かう奔流の中にいるということです。「大洪水」というのは、マルクスが『資本論』の中で用いた比喩です。資本主義の終焉のことです。資本主義は19世紀の英国で、マルクスが生きている時代に彼の眼の前で生起した新しいシステムでしたが、その誕生の時でさえ、資本家たちは「洪水よ、わが後に来たれ(Après moi, le déluge)」と祈っていたのです。自然と人間を際限なく収奪するこんな非人道的で歪んだ経済システムがいつまでも続くはずがない。いずれ破綻するのは確実なのだけれども、それは私が死んだ後にして欲しい。資本家たちはそう祈った。つまり、資本主義は誕生した瞬間から「末期」だったのです。でも、なんだかんだ200年にわたって延命しました。末期ステージにいたはずの資本主義が200年も延命したのは、民主主義や人権思想や社会福祉制度のような「よけいな制度」を人間が創り出して、資本主義の延命に加担したせいだと考えるのが「加速主義」という思潮です。加速主義者たち(イーロン・マスクとかピーター・ティールとか)がめざしているのは、これら「よけいな制度」を廃絶して、資本主義の終焉を早めることです。「大洪水」の到来を加速して、一刻も早くポスト資本主義のフェーズに通り抜けたいという「苛立ち」をイデオロギー化したものが加速主義(accelerationism)です。この「苛立ち」の気分は間違いなく、世界中のすべての国の、あらゆる政治的事件のうちに見ることができます。程度の差はあれ、世界中の人々が「苛立って」いる。そして、これまで存在していたシステムを、その良否を問うことなく、壊すことに熱中している。苛立った人間は必ずものを壊す。そういうものなんです。いらいらしながら、丁寧にじっくりと作品を創り上げるというような器用なことを人間はできません。苛立った人間にできるのは壊すことだけです。そして、世界中の人が苛立っている。
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