稲垣えみ子さんの「買わない生活」
稲垣えみ子さんの『老後とピアノ』と言う本が面白かったので、東洋経済オンラインに連載されていた「買わない生活」を全63回読み切りました。
連載なので、前回分の要約が入ったり初めての読者用の解説が加わったりするので、かなり冗長な印象がありましたが、それでも彼女の言いたいことは大体つかめたと思います。
この記事は、控えめに言ってもかなり革命的な内容でした。
要するに、お金が全ての資本主義的生活を徹底的に否定して生きてみたら、それが困難などころか快適で、目から鱗の連続だったというちょっと信じられないようなものだったのです。
まず、この方は朝日新聞の論説委員などを務めていたれっきとしたエリート・サラリーマンでした。かなりの高給とりだったようですが、齢50にして新聞社を退職し、無収入に近い状態になります(その辺りの経緯は著書に書かれているようですが、私は読んでいません)。
そこでオートロック付きで、シューズクローゼットなどもある豪華マンションを引き払い、33平方メートルで風呂も収納もない築50年のワンルームに引っ越しをするわけですが、どう考えても持っている衣類をはじめとするほとんどの所持品を放棄する以外に、そこで暮らすことはできないことが判明します。
悩み抜いた末に彼女が選んだ戦略はこんな具合でした。
- 衣類の収納場所がない→どうしても手放したくないものを厳選し、日常的にはそれを回して着用。それ以外は街のフリーマーケットなどを通して人に使っていただくことに。
- 風呂がなければ銭湯に行く→むしろ銭湯の方が広くて豪華でよく温まることを発見し、自分の風呂と思うことにする。
- 冷蔵庫がない→食料を残さないよう、必要量だけ地元の商店街で買う。食事は原則として一汁一菜(小豆入り玄米ご飯、ぬか漬け野菜、残り物を活用した具入味噌汁)とし、余った野菜はぬか床を買って漬ける。生ゴミは出なくなり、レシピは使わなくなった。
- 書籍の置き場所がない→街の古本屋と波長があったので、全てここに売り、読みたくなったら(売れ残っていたら)買い戻して読む。
等々。
その結果、思いもよらぬ事態が訪れます。
- スーパーでなく街の商店街で買うのは、必要量だけ小分けにして売ってもらえるからですが、プラの包装紙がついてこないのでプラごみが激減した。現在はプラゴミは極小袋に2、3週間に1個しか出ない! さらに、お店の人との会話を通じて友達関係になり、何かを買うと少しおまけしてくれたりするようになった。今は地元の人たちとの温かい関係が宝物と思えている。
- たくさんの(立派な)衣類をみんなにあげたことをきっかけに、お返しとして色々な人からプレゼントが届くようになり、今ではあまり物は買わずもらい物で生活できるまでになった。よく玄関のドアノブに「よかったら食べて」と言うメモ付きでおかずなどがかかっている・・・。
- こうして知り合ったカフェのピアノを使わせてもらい、老後のピアノに挑戦した結果があの本になった。
つまり、街の人たちと付き合うことで孤独でなくなり、一汁一菜の自然食で健康になり、生活費がかからないのでお金に困らず、空いた時間に好きなことができると言う、誰もが欲しがっていてなかなか手に入れられない
友達
時間
お金
健康
が、全て一気に手に入った・・・と言うのです。
こんな一節がありました。彼女の生活ぶりが想像できます。
電気代は月200円以下、ガス契約はしておらずカセットボンベを週1本使うのみ、水道は月の使用量が1㎥以下、燃えるゴミは2カ月に1回しか出さない。もちろんプラ削減も日々挑戦中で、プラゴミは極小袋に2、3週間に1個というところにまでこぎつけた。移動は自転車で、電車だけでなくエレベーターやエスカレーターもほとんど利用していない。
こういう生活が可能になった背景には、彼女が独り身だということがあります。
家族がいたら、この生き方はできないでしょう。
また、必要なものがほとんど揃う商店街がある下町に住んでいるのも良かったと思います。私の住んでいる地域は川崎の田舎ですが、いくつかあった商店街は全滅し、銭湯も最近消えてしまいました。稲垣流の買わない生活などここでは無理なのです。
しかし、この記事には非常に多くの学びがあると思いました。
彼女がこの生活を通じて得た深い認識の一例が、最終回に載っていました。私もこの一文に共感しています。
お金とは自分だけが得するように使ってはいけない・・・「買わない生活」とは、自分が幸せに生きるのに必要なお金はほんのちょっとしかないと気づくことで「余ったお金」を生み出し、それを大切な人を応援するためにしっかり使う生活なのである。
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