小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』を読む
初めて小泉悠のまとまった著作を読み、大変感心しました。
本書はウクライナ戦争の2年半前に書かれたものですが、この戦争を理解するのにも大変役に立つと思います。
大分な本なので、全部を詳しく紹介することは困難ですが、どんなことが書かれているか一口で述べると、ロシアの「国」というものの捉え方についてである、と言えるように思います。
一つは国境についてです。
著者の喩えを用いると、我々が国境というものをイメージするとき、それはフラスコのようなもので、内部は「主権」という溶液で満たされているがこれを他の液体に浸けても混ざり合うことはない。
ところがロシア(やその他いくつかの国)に於いては、国境は浸透膜のようなもので、国家主権はこの膜を通して出入りするグラデーションとして表現される、という理解である。
見事な喩えです。
その具体的かつ詳細な例証が本書の価値と言えるでしょう。
もう一つのポイントは、国家の自立度に関するシビアな見立てです。国家主権という概念は、大国にしか適用されないと考えている節がある、のだそうです。
それはプーチンに於いて典型的ですが、彼によれば主権国家と言えるのは米国、中国、インド、そしてロシアくらいであり、その他の国はその安全保障を政治・軍事同盟に頼っているため、同盟の盟主に頭が上がらないから完全な意味では国家主権を発揮できない半自立国家である、ということになります。
日本もドイツも主権国家とは見做されておらず、逆に北朝鮮は主権国家になりつつある国、と見られているのかもしれません。
北方領土返還交渉に於いて、プーチンが要求したのは日本が主権国家になることだったそうです。核を持ち、日米同盟を破棄して日本が真の独立国家となるなら、主権国家同士の交渉の場を設けましょう、ということです。
このようなロシア流の世界観は、寡頭制というべきもので、少数の大国が世界を分割支配するイメージです。ロシアの主権は浸透膜を通して周囲に滲み出ていて、必要とあらば隣国の主権を制限することも正当化される訳です。
とんでもない、と思う人がいても、力が正義の世界になれば否応なく飲まざるを得ない認識なのです。
今は世界がどちらに転ぶか、その瀬戸際にあると言えるかもしれません。
本書はサントリー学芸賞を受賞した作品だそうですが、一読も二読もする価値があると思います。
コメント
小泉氏はウクライナ侵攻で初めて知った一番注目している軍事評論家です。
プーチン=悪という世評が飲み込めなかった私にとって腑に落ちる国家観でした。 馬淵睦夫氏はネオナチについて侵攻の正当性を説いてますが。小泉氏の説は説得力があります。
戦争の悲劇は語るまでもありませんが世界の国々をよく知ることが日本の平和につながると思った次第です。
只者ではないという印象でしたが、こんな本を著している方ならさもありなんです。
私の中では、E. トッドよりずっと上です(トッドは切れ味の良い家族社会学に頼りすぎの一本足打法)。
馬淵睦夫氏は一面しか見ておられないように見えます。
知人でロシア人と結婚してモスクワで暮らしている人がいますが、彼はコサックの名誉会員だそうです。コサックの推薦人がいて、ウォトカの一気飲みができて、その他いくつかのテストに通過すれば日本人でもなれるのだそうですが、彼から聞いたコサックとロシアとの付かず離れずの関係を知ると、ウクライナのネオナチの存在にもまた頭から否定できない理由があるように思えます。
ウクライナもパレスチナも過去のしがらみが覆い尽くしている地域なので、私のような単純な日本人の頭ではなかなか理解できません。