『寿命が尽きる2年前』
久坂部羊『寿命が尽きる2年前』(幻冬舎新書)
という本を読みました。
大変共感するところの多い本で、思わず二度読みしてしまいました。
初めに「寿命」について様々な議論が展開されています。ここは知識としても面白いところで、知っているようで正確には知らないことが多いのに気付かされました。
例えば、健康寿命は聞き取り調査に基づいて決められているそうですが、その質問は
「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」→ある/ない
「あなたの現在の健康状態はいかがですか」→良い/まあ良い/普通
といった具合なんだそうです。
こんな質問程度で日本人の健康寿命は何歳とか決めている訳ですが、著者は当然ながらこのやり方をいい加減だと痛烈に批判しています。
寿命を延ばす方法はあるのかを議論しているところも面白かったです。
しかし、私が大変刺激を受けたベストセラー『LIFESPAN』(D.シンクレア)について、酵母やマウスで成果を上げているからと言って人間にも効果があるとは限らないのだから、人間への応用ができてから本を書くべきだと述べていますが、これは厳しすぎる批評だと感じました。
特にシンクレアの七十代の父親がNMNとメトホルミンを服用して元気になった話については、週刊誌やサプリのCMみたいだと批判し、どうせ書くなら「個人の感想です」と書き添えるべきだと述べていますが、『LIFESPAN』ではこの話題はちゃんと、プラセボ効果のせいかもしれないし、父がそろそろ自分の生き方を大きく変えてみたいと無意識に思ったタイミングと重なっただけかもしれないと慎重に扱われています。決して無責任に取り上げている訳ではなく、これも批判が先に立った印象があります。
しかし、私が同意できなかったのはここくらいで、後はおおむね賛成し共感できました。
その主な論点は下記の通りです。
- 医療における検査被曝の量は日本がダントツの世界一だが、これは患者の寿命を大きく縮めている可能性があり、念の為程度の胃のバリウム検査やCTスキャンなどはできるだけ避けるべきだ
- 仕事に忙殺され、人間関係に疲弊し、幸福の追求に翻弄され、その不健康さを補うために健診や人間ドックを受けるのは本末転倒。もっと寿命を大切にせよ
- もう十分に寿命は延びた。もっと延ばしたいというのは厚かまし過ぎる。それよりも残りの人生をもっと楽しみ、自分を解放することに使うべきだ
- 患者よ、老いと闘うな(最後は必ず降参する)
- 患者は「がん治療=良いこと」と考えるが、医者は「がん治療=やり過ぎるとよくない」と思っている
- 年齢相応が一番。美容整形はやればやるほどおかしくなり、老いに抗う必死さが顔に現れ、不自然さと不気味さと浅はかさが滲み出て冷静に見れば変な顔になっている(ここを読んで某やんごとなき老女を連想)
- 歳をとりたくない、いつまでも若々しくありたいと願うのは利己的で、利他性や公共性がない子供じみた欲求だ
- 尊厳死を望むなら病院に行くな
- 拒んでも訪れるものは受け入れるのが一番。自分の都合にとらわれて現実を拒むと、無用に苦しまなくてはならなくなる
等々。
本書のタイトルである「2年前」とは、死ぬ心づもりをするのにちょうどいい時期という意味だそうです。後1年で寿命が尽きると言われるとカウントダウンが始まったようで落ち着かないが、2年前ならまだ余裕があり、人生最後の時間を自分で納得できることに費やして、満足して死ねる、というのが著者の意図するところだそうです。
そういう意味でも、がん死は理想に近い死に方だと述べていました(私の家内の持論でもあります)。
ピンピンコロリは、コロリの死に方である心筋梗塞やくも膜下出血が激烈な痛みを伴うので、決して楽ではなく、また老衰死も眠るような死が訪れる前に、恐ろしく長い不自由で辛い日々を耐え忍ばなくてはなりません。それよりはがんの方が遥かにましだと著者は述べています。
確かにその通りですが、がん死にも色々あって、例えば肺がんで死ぬのは緩慢な溺死と言えるので、決して全てが楽な死に方ではないと私は思います。でも、落ち着いて死と向き合う時間が取れるのはがんの利点だとは言えるでしょう。
著者は医師であり、高齢者医療の現場を知り尽くしていて、100歳近い長寿の人の健康状態についてこんなふうに述べています。括弧内は私の現況です。
- 呼吸機能低下(息苦しさを感じることがある)
- 消化機能低下(たくさん食べられず、食後すぐ眠くなる)
- 心機能低下
- 嚥下機能低下(時々むせるようになった)
- 筋力低下
- 歩行困難
- 起立困難
- 姿勢保持困難(腰が痛くてつらくなる)
- 歯が抜け入れ歯が合わなくなる(歯周病)
- 背中が曲がる(注意されることがある)
- あちこちの関節が痛んだり拘縮したりする(肩・首・腰は慢性的に痛む)
- 頭痛(散発的に起きる)
- 耳鳴り(あるが気にしない)
- めまい
- 不眠(よくある)
- 唾液分泌の減少
- 便秘と下痢
- 風呂に自分で入れない
- 着替えもままならない
- 痙攣:キーボード入力ができない
- こむら返り(最近よくある)
- 視力低下:本が読めない(白内障がひどくなってきた)
- 聴力低下:会話が不自由(聴き取りにくくなった)
- 味覚・嗅覚鈍化:食事が楽しめない
いやー、実にさまざまあるものですね。こんな状態になったらもうそれ以上長生きしたくないとは思いますが、すでに私にも少しずつトラブルの兆候が出始めていることに気がつきました。
私もここに向かって近づいているんだ!
そしていよいよ後2年となると、こんなふうになるそうです。
- 食が細くなり、かなり痩せてくる
- 活動的でなくなり、億劫・しんどい・面倒臭いが増える
- 体を休めても回復しない
- 転倒して大腿骨骨折など
- 認知症
- 誤嚥
こうなったら覚悟せよ、だそうです。
無駄な抵抗は不幸な死を招くことを忘れずに・・・。
そうそう、胃ろうについてこんなことが書かれていたのでメモします(要約)。
胃ろうにすると困るのは、高齢者がいつまでも死なないこと。元気で死ななければいいが、意識もなく無言無動で何の反応もないまま。清拭、洗髪、口腔ケア、目脂や鼻くその処置、床ずれ防止措置だけでなく、下の世話(おむつ交換だけでなく、浣腸や陰部洗浄、摘便までも)もしなくてはならず、しかも「ありがとう」の一言もない。それがいつ果てるともなく続く。
おー、恐ろしや。
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