ピンピンコロリは悪魔の発想
健康本・老人本を多数出している和田秀樹さんという精神科医がいます。
どれもほとんど同じ内容だと思い読んだことはありませんが、先日新聞広告に『100歳の壁』という本が出ていてアレと思いました。
たしか少し前に『80歳の壁』という本を出していたはずだからです(笑)。
よーやるよ、と思いながら広告を見ていたら、こんなことが書かれていました。
70代は老いと闘う時期
75歳は人生の節目
80代は老いを受け入れる時期
これには全面的に賛同したい気持ちです。
人により数年の幅はあるかと思いますが、私の場合、たしかに75歳で後期高齢者になった頃から目に見えて体の衰えを感じるようになりました。
それまではからだ改造と称して鍛錬を重ね、その成果を北アルプスなどの難ルートで確認する日々でしたが、やがてジムに週三回通うのをおっくうに感じ始め、寝覚めが悪くなり、昼寝も欠かせなくなるなど、明らかに生活の質が落ち始めました。
会社もたたみ、北アルプスにも行かなくなりました。
ちょうどその頃からコロナ禍に見舞われたため、これらの変化をコロナの影響と思ってきましたが、最近になってどうもそうではなさそうだとわかってきました。
まさに「75歳は人生の節目」だったようなのです。
強気の私も、とうとう自分が下り坂を転げ始めたことを認めないわけには行かなくなりました。和田さんのいうように、これから迎える80代は「老いを受け入れる時期」になりそうです。
そこで思い出したのが稲垣えみ子さんの
ピンピンコロリは悪魔の発想
という言葉でした。
その趣旨は、死ぬ間際までピンピンしているのが良いという考え方は、人生の下り坂に差し掛かってもいつまでも上り続けるのがいいと思うことであり、そうすると人生の後半戦は負け戦続きになってしまい、人生の締めくくりの時期を寂しいものにしてしまうから、というものだったと思います。
最後は「病牀六尺」だから、と述べていました。
病牀六尺というのは正岡子規ですね。
後期高齢者になり、否応無しに老いを受け入れざるを得なくなったのだから、身の回りの世界に小さな喜びを見つける生き方に徐々にシフトして行った方が良いのだろうと思います。
とはいえ、まだ欲があり気持ちは揺れています。
今日訪れたお寺に掲げられていた箴言です。
深いと思っても浅いのが考え
浅いと思っても深いのが欲
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