『日ソ戦争』(中公新書 )を読みました

麻田 雅文 『日ソ戦争』(中公新書 )を読みました。
久しぶりに手応えのある、そして衝撃を受けた本でした。

太平洋戦争の終戦時、どさくさに紛れてソ連が条約を破り我が国に攻め入った・・・ところまでは知っていましたが、その具体的な内容についてここまで詳しく紹介されている本は(私は)初めてでした。
満州や朝鮮、千島列島での激しい戦闘など、よく知らないことだらけでした。
そして、戦後80年も経たないと、こうした本が出版されなかったという現実に打ちのめされた思いです。

まず、アメリカという国の恐ろしさを痛感しました。
こうと決めたら、その目的遂行のためには手段を選ばない単純さと冷酷さのことです。
特に大統領の権限が強大なので、(当時の)ルーズベルト個人の日本に対する怒りが情理を吹き飛ばし、ソ連を強引に参戦させたことには震撼しました。
日ソ戦争はアメリカが仕掛けたんですね。

ソ連のスターリンはその足元を見、参戦するとは言いながらなかなか動こうとせず、アメリカから最大限の譲歩を引き出した上で、ポツダム宣言を受諾し動きの取れない日本に襲い掛かります。
この辺り、現在のウクライナ戦争のトランプとプーチンを見る思いです。
そう、スターリンの冷徹なリーダーシップはなかなか見事なものだと思いました。

また、当時のソ連兵の残虐さは有名ですが、本書にも至る所にその様子が描かれていて、正気を保ちながら読むのは困難でした。言葉で言ってしまえば強奪、殺戮、強姦の嵐、ですが、具体的な情景を想像すると胸が悪くなります。
彼らのこの<伝統>は現在のウクライナ戦争のロシア兵にもそのまま引き継がれているのは、ブチャの虐殺の例からも明らかで、ロシア人は度し難い連中だと言わざるを得ません。

さらに、よく言われることですが、日本軍の大本営の無能ぶりにはあらためて落胆させられます。
混乱と無責任、各所で見られたボタンの掛け違いなどにより、多くの兵隊や民間人が犠牲になりました。そのことはこの日ソ戦争でも同様ですが、終戦の混乱に乗じて起きた戦争なので、とりわけ大きな犠牲が生じたのだと思います。
特にびっくりしたのは、特攻というと爆弾を積んだ飛行機や魚雷艇で突っ込むイメージばかりでしたが、この日ソ戦争では爆弾を抱えた兵士が迫り来る戦車の前に身を投げ出すという特攻が頻繁に行われ、失われた兵士の数から言うとこの対戦車肉弾攻撃の特攻が一番だったという事実です。
驚きました。

なぜこんなことになったのか、と言えば、大本営は本土決戦のことで頭が回らず、満州や千島の部隊にロクな補給をしなかったばかりか、逆に武器を本土に回収したりし、それでいて敵が攻めてきたら自衛目的の戦闘をするよう指示していたからです。それも、最後までソ連の仲介に期待していたという、もう最悪の司令部でした。
そんなトップにも関わらず、ロクな武器も持たない現地の兵隊は凄まじい戦いぶりを示し(胸熱)、戦争が終わった後の日ソ双方に無駄な死を招きました。
それはともかく、ソ連兵の残虐さの伝統と対比する形で言えば、日本軍には軍部が兵隊の人命を軽視する伝統があったと言わざるを得ません。

その他本書には、民間人に降りかかった悲惨な運命についても多くのページが割かれています。
五木寛之さんの回想なども引用されていますが、ソ連兵から女を出せと言われた日本人は、侮蔑の言葉と共に水商売の女性を無理やり引き渡すなど、日本社会に内在する性や職業に対する偏見が表に噴き出す様を描いていて、言葉を失います。

以上、こういう出来事が、つい80年前に実際に起こったことを考えると、私たちはあまりにも物忘れが過ぎやしないかと思ってしまいます。80年なんてついこの間のことです。何かあれば、簡単に元に戻ってしまうでしょう。
本書は私たちに「忘れるな」と語りかけているようです。
これを読んで、戦争はいけないなどという結論しか引き出せないようでは、再び地獄を見ることになるかもしれません。

良い本です。お勧めします。

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