ブーニンの復活
録画しておいた『天才ピアニスト・ブーニン 9年の空白を越えて』を鑑賞しました。
素晴らしかったです。
ショパンコンクールを史上最年少の19歳で優勝したソ連生まれのピアニストであり、日本をこよなく愛し、日本人と結婚して洗足学園で教鞭をとっていたが、なぜか演奏活動を中止したらしい・・・程度の知識しかありませんでしたが、この番組で何が起きていたのかよく理解できました。
彼は左の肩にカルシウムが沈着して痛みだし(鍵盤炎)、それが原因して左手が思うように動かなくなったのだそうですが、それに追い討ちをかけるように2013年に左足を骨折してしまったそうです。
(左足! 私と同じだ)
ところが、彼は遺伝性の糖尿病(I 型)という持病を持っていて、そのため骨折した箇所(足首の少し上)が壊死し始め、医者からはそこから先を切断する他ないと無情な宣告を受けたのだそうです。
まさに悲劇です。
しかし、ブーニンは左足が使えないと演奏ができないため、切断を受け入れるわけにはいきませんでした。彼は左足をペダルのために使うだけでなく、強奏時にここに体重をかけて強く鳴らすタイプの演奏スタイルなのだそうです。
結局彼は足を切断しないで治療してくれる名医を探し出し、壊死した部分だけを切断して残りの足をつなぐという方法で乗り切りました。
そのため、彼の左足は右足より数センチ短くなってしまい、左には特別性の厚底シューズをあつらえてもらうことで対処しているそうです。
ここまででも彼が悲運のピアニストだということがわかりますが、それ以前にも旧ソ連で当局の監視を受けるという重圧に苦しんだ過去を持ち、いよいよ自由が奪われるという直前に母親と西ドイツに亡命したということでした。
ロシアは共産主義でなくなってもあのような蛮行を平然と行う国ですから、ソ連時代はもっと大変だったと思い胸が痛くなりました。
彼は日本に来たとき、銀座で人々が明るく自由に歩く姿を何十分も飽きずに眺めていたそうです。
亡命したのがドイツなので、当然ドイツ語はペラペラで、ケルンに居を構えているそうです。私はよくボンに行きましたので、そこから歩いても行けなくはない距離にあるケルンには懐かしいものを感じますが、今の奥様(栄子さん、ジャーナリスト)とはそこで出会ったのが馴れ初めで、ブーニンの方から熱烈に求愛したのだとナレーションは語っていました。
彼にとっては栄子さんがいない人生など考えられないくらいの惚れ込み様だったそうです。
足は現在も完全ではなく、痛みもあるし歩くのも不自由そうですが、奥様や周囲の励ましと勧めもありコンサートに復帰することになりました。
本人は「チャレンジ」だと述べていましたが、足も手も不自由になったため指使いまで変えなくてはならず、以前はスラスラ弾けた曲がまるで初めての曲の様に感じられたほどだったそうです。
そして今年の6月に八ヶ岳高原音楽堂(野辺山)で復帰リサイタルが開かれ、母の思い出が詰まっているシューマンの「色とりどりの小品 作品99」が演奏されました。
ピアノはなんとあのFAZIOLLIでしたが、粒の際立った美しい音を響かせていました。
しかし、ブーニンはこの演奏で体力を使い果たし、用意していたアンコールは演奏されずじまいでした。
その姿から、白血病で倒れた伝説のピアニスト:ディヌ・リパッティを想起しました。彼もまたブザンソンで開かれた最後のリサイタルで、ショパンのワルツ集全曲の最後の一曲を弾き切ることができなかったのです。
番組では、あの反田恭平さん(昨年のショパンコンクール2位)も少しだけブーニンに指導してもらったと述べていました。
ピアノは歌だ、ピアノを歌わさなければダメだと言われたそうです。
少しスリムになりましたが、ブーニンは相変わらず素敵な紳士でした。
音楽も素晴らしいけれど、この人の佇まいには人を惹きつけるものが満載です。
世田谷の自宅は庭が森になっていて、奥様とくつがれているシーンが最高でした。
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