心のエネルギーが減ってきた?

先日、日吉東急の本屋に立ち寄った時、来年の手帳を買ってきました。
もう仕事の予定などないサンデー毎日の暮らしなので、本来手帳など不要のはずですが、生来の手帳好きに加え、高齢になって生産性が低下してきた日々の生活に喝をいれるためにもう一度手帳のある生活に戻ろうと考えたのです。
子供が学校時代にあれほどの量の勉強をこなすことができるのは、時間割のある生活に理由があると思う私ですから。

買ってきた手帳は、日々の生活を改善し続けることのできる仕掛けが内蔵されているもので、一年間真面目に使えば相当の効果が期待できそうですが、本当を言えば私はあまり信じているわけではありません。
多分、三日坊主に終わるだろうと思っているくらいです。
ただ、来年は何をしようか手帳に書きつける目標をあれこれ考えるのが楽しいのです。

ところが、その目標を考えているうちに、たとえ一時的にせよ気分が高揚するはずが、今回はそうならないことに気づき愕然としました。
確かに目標は書き出せました。
でも、ワクワクしないのです。
誰かに冷やかされたとか、そういうことではなく、ただ熱が冷めたようなのです。

当然ですが、その目標は簡単に達成できるものではなく、相当頑張らなくてはなりません。しかし、それを達成した自分を想像するとき、これまでなら日常生活に埋もれている今の自分を大きく超える肥大した自我が現れて自尊心が満たされ、やる気が出てきます。

(こんなことをやり遂げる自分ってスゲー!)

ですが今回はそういう具合に本気にはなれません。
何というか、高揚するだけのエネルギーが心の中から消えて無くなった感じです。
チャレンジとか克服とか達成とかいった言葉にもはや揺さぶられることはなく、それらはもう自分とは無縁な世界と感じるのです。

闘って何かを手に入れるより、黙って受け入れてもらうことの方が今の自分にとっては価値があるのかもしれません。
これも加齢のなせる技なのでしょうか・・・。
(こうしてみると、トランプ前大統領の心のエネルギーは大したものです。彼とは同い年ですが、あの熱量の半分でもいいから欲しいものです(笑)

コメント

leoncoco さんの投稿…
年をとるとはそういう事なんでしょう。
やる気は失せていき、唯穏やかに過ごしたいと願いますが
どういう死を迎えるかですね。
終末期は人生で一番過酷と思ってます。

トランプ氏の巨大な敵に立ち向かうガッツには脱帽です。
知性のないトランプ支持者と言われてますが応援してます。
kenkouhoushi さんの投稿…
体力、知力だけでなく気力までも低下してしまうと、文字通りの生ける屍になってしまいます。そうならないよう、体と心のメンテに気を遣ってきたつもりですが、そうは問屋がおろさなかったようで手強い敵です。
多くの高齢者の目に浮かんでいる不安と恐怖の色はこれだったのか、と言う思いです。
でも、まだ闘争心を失ったわけではなく、不意を突かれてちょっとうろたえただけ、と自分では思っています。

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