『41人の嵐』
『41人の嵐』(ヤマケイ文庫)と言う本を読みました。
著者は南アルプスの両俣小屋の管理人で、若くして管理人となって以来、未だ現役だそうです。
私より4歳年下ですから、今年75歳!
南アルプス最深部の小さな小屋を昭和55年(1980年)に引き継ぎ、45年間もたった一人で通信手段もない小屋を切り盛りしてこられた彼女には、大勢のファンがいるそうです。
実は私もその一人で、今から30年以上前、ここを訪れて以来です
その時は、テントを担いで北沢峠から入山し、仙丈岳(3033m)→仙塩尾根→両俣小屋→塩見岳(3052m)というコースを予定していましたが、バス便の都合だったか何か理由はよく覚えていませんが、仙丈岳と仙塩尾根をスキップして林道経由で直接両俣小屋に至りました。
静かで快適なテント場でしたが、翌日出発する時に管理人の女性の方が来られ、「出たゴミはここに全部置いて行ってね。こちらで処分しますから。少しでも荷を軽くして歩いたほうがいいよ」というのです。
耳を疑いました。
普通、こういう時は「出たゴミは残さず持ち帰ってください!」と言われるのが相場で、反対を言われたのは後にも先にもこの時だけでした。
感動しました。
以来、もう一度ここを訪れて彼女に再会したいと思ったのですが、思うだけでなかなか実行に移せていません。
その彼女(星美知子さん)が、昭和57年(1982年)に生死をかけた大冒険をしていたことを知ったのは比較的最近のことです。
それがこの本のテーマで、当時日本を襲った巨大台風10号に小屋が襲われ、星さんは登山客40人をリードして両俣を命からがら脱出したのです。
本を読めばわかりますが、過酷な状況に追い込まれていたにもかかわらず、全員が無事に生還したことは奇跡というしかありません。
起きたことを簡単にまとめると、
- 激しい風雨に危機感を抱いた星さんは、テント場にいた登山客(学生中心)を小屋に収容する
- 近くの沢が増水し、小屋が濁流に飲まれ始め、靴や荷物を流される子も出てくる
- 全員で着のみ着のまま豪雨の中を山側に向けて避難する
- 木の枝を集めて雨よけのシェルターを作り、朝まで耐える
- 翌朝小屋に戻ると、土石流に埋まった一階の荷物は大半が流されていた
- 晴れ間が見え始め、全員二階に移動して残った米でご飯を炊き休養する(台風は去ったと安心)
- 夜半に再び豪雨が襲い、沢も増水し始めて小屋の一階がさらに埋まっていく
- 朝になり、このままでは危険と判断して全員で脱出する決意を固める
- 仙塩尾根→仙丈岳→北沢峠という長大なルートで歩き出す
- 休憩なし、全員で掛け声(ファイト、ファイトなど)を掛け合いながら歩き通す
いやー、書いているだけで緊張しました。
靴を失った女学生は靴下だけで歩き通しています。
前日からろくに物を食べていないのに、3000m越えを含む嵐の登山道13km(コースタイム9時間半)を歩き切っています。
ものすごい精神力だと思いました。
多分、大勢が励まし合いながら一緒に行動したため、可能だったのでしょう。
一人では無理だったと思います(私なら倒れていたと思います)。
その中心に、若干32歳の星さんがいたわけです。
末尾に彼女は誇らしげに記しています。
昭和五十七年、両俣小屋における台風十号によるケガ人、病人、死者ともになし。
まだお元気なうちに一度お会いしたいなぁ…
(追記)
死にギリギリまで近づいた体験ですが、老人の死とは対極にある生命の輝きを強く感じさせる話でした。
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