姉の死
葬式で故郷に帰っていました。
長年パーキンソン病を患っていた姉が亡くなったのです(これまで身内と書いてきました)。享年79歳でした。
先月、義兄より一度会っておいた方が良いと言われ、お見舞いに訪れたことは日記に記した通りですが、その様子からあまり先は長くないかもしれないとは思ったものの、こんなに早く逝くとは思いませんでした。
デイサービスに通い始めて二度目が無事に終わり、帰宅して夕食に臨んだ時に異変が起き、救急搬送されたものの助からなかったそうです。
AI(Autopsy imaging 死亡時画像診断)によると、肺に水が溜まっていたための窒息死が原因とされたそうです。誤嚥ということでしょうか。
医者から胃瘻を提案されていたほど食事能力が低下していたので、あり得る話と思います。
通夜と葬儀は親族だけのこじんまりしたものかと思っていたら、大勢が参列する大規模なもので驚きました。
故人は教員生活が長く、最後は校長として定年退職しましたが、その頃のお付き合いも多かったようです。まだ女性の校長が珍しかった頃でした。
それ以外にも、オーケストラ関係の参列者もおられたようでした。姉は50年にわたり市民オーケストラのヴァイオリン奏者として活動し、2nd Vのパートリーダーも勤めていたそうです(今回初めて知りました)。
会場には、その当時録音したモーツァルトとチャイコフスキーの演奏が流れていました。
喪主の義兄の挨拶によると、医者から病名を告げられてから23年、異常が見つかってから数えると28年もの長きにわたった闘病生活でした。
なんとかしてパーキンソン病に打ち勝ちたいと、音楽療法をはじめ様々な治療法を試してきたそうですが進行が止まることはなく、特に今年に入ってから加速度的に衰えたようです。
恐ろしい病気です。
通夜、葬儀、火葬場、初七日の法要と続き、全てが終わりました。
父母に続く姉の死で、とうとう私一人になってしまいました。
とはいえ、私には妻も子も孫もいます。甥も姪もいます。
血筋が絶えるわけではなく、過去の映像記録が川の流れを背景にスクリーンに映し出されるのを眺めながら、ただ時の流れを感じ感傷的になっている自分がいるだけでした。
さよなら、姉さん。
コメント
長い闘病生活から解放され、過去のご活躍が凝縮されたようなお葬式と感じました。
友人は10年足らずのパーキンソン病ですが、もう終わりにしたいと弱音を吐いてます。
昨日は認知症の妹を面会しましたが、聡明でしっかり者の変わり果てた姿に
暗い気分が拭えません。
妹は5歳下なので先に逝ってほしくないです。
20年以上にわたる闘病生活に終止符が打てて、姉もホッとしているような気がしています。人前で無様な姿をさらすのは、誇り高い姉にとっては時に耐え難いことだったでしょうから。
ご友人が弱音を吐かれるのも、この病気の残酷さを考えると致し方ないのではないかと思えます。
お妹さんの現況に心が痛みます。認知症もパーキンソン病も似ている点が多いそうで、いくつかトラブルを重ねて加速度的に弱っていくとのことです。
残された時間は数年くらいと思われますが、出来事の記憶は消えても感情の記憶は残るそうなので、幸せな時間の記憶とともに生きていけるといいですね。