漂泊の旅が好き

若山牧水の歌を引用したら、急に牧水の旅を知りたくなり、『みなかみ紀行』(岩波文庫)を買って読んでいます。

その前に、彼の歌:幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国を今日も旅ゆく の解釈について。
私は自分流に
 多くの山や川を越えて漂泊し、寂しさすら(感じすぎて)尽き果ててしまったような異国の地を今日も旅している
と理解していましたが、ネットでの解釈は
 いったいどれだけの山や川を越え去ってゆけば、この寂しさが終わる国にたどり着けるのであろうか。 行けども尽きない寂しさの国を 今日も私は旅している
なのだそうです。

私の解釈では寂しさは尽き果ててしまったが、世間の解釈では寂しさは尽きない・・・さあ、どうする?(笑)

家内に聞いたら、「あんたの負け」(笑)。
越えさり行かばは仮定文だから、
 あとどれだけの山や河を越えたらこの寂しさが終わるんだろうと思いながら、今日も寂しく旅をしている
となるそうです。
ハハーっ🙇


さて、『みなかみ紀行』の一部を読んでみたのですが、すでに歌人として名声を博していた牧水には、門弟が大勢いるらしく、旅の先々で彼らに迎えてもらって、一緒に酒を酌み交わしながら旅をしていくようなのです。
そのスタイルは、あの山頭火によく似ていて、そう言えば山頭火も酒好きでした。

若山牧水、山頭火と来れば、松尾芭蕉も大旅行をした漂泊の俳人でしたが、こんな句を読むところから思うに彼もまた酒好きらしい。
 川舟やよい茶よい酒よい月夜
 月花もなくて酒のむ独り哉

漂泊の歌人・俳人は皆酒好きでなくてはならぬわけでもないでしょうが、旅に酒はつきものということでしょう。

こうした漂泊の詩人の流れで言えば、漫画家のつげ義春も旅が好きだったようで、私は今でも彼のような自由気ままな旅をしてみたいと憧れています。


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