「マタイ受難曲」の誤訳?

「マタイ受難曲」を聴いていて、もう一つ気になったことがありました。
それは第二部に入り、イエスが捕縛されて総督のピラトの尋問を受ける場面です(先にご紹介した対訳付きの演奏では2:17:00から)。
ピラトがこう聞きます。

Bist du der Juden König?(お前はユダヤ人の王か?)

それに対しイエスは

Jesus aber sprach zu ihm:(イエスは総督に言った。)
Du sagst es.(そのとおりだ。)

思わずダメじゃん!と思ってしまうシーンです。
自分がユダヤ人の王だなどと認めてしまったら、それだけで明らかに有罪なのにどうしてイエスはこんなミスをしてしまうのでしょうか。

ところがこれに続いて祭司長や長老たちに告発された時には、イエスは何もしゃべらなかったとあります。

antwortete er nichts.(イエスは何も答えなかった。)

ピラトにはスラスラ自供してしまうのに、続く長老たちにはダンマリを決め込むというのも流れから言っておかしな気がします。
私は、これは最初のイエスの言葉の翻訳が間違っているせいだと思います。

字幕はドイツ語なので、Du sagst es. を英語にしてみると、

 Jesus said to him, "You have said so."

となります。この箇所は手元の英和対訳の聖書『新約聖書』(日本聖書協会 1961)に出ている英文を引用しましたが、これは単に「それはあなた方がそう言っているだけだ」という意味であり、どこにも自分が王であることを認めている響きはありません。
つまり、この「マタイ受難曲」の字幕は間違った日本語訳を使っていると思うのです。


Du sagst es.に関連する似たような誤訳は、第一部の晩餐の席で弟子たちが自分を裏切るだろうと言うイエスにユダが「私もですか?」と尋ねるシーンでも生じています。
この時すでにユダはイエスを金で売っており、イエスはそれを見抜いているのですが、先に引用した聖書ではこうあります。

Judas, who betrayed him, said, "is it I, Master?"
He said to him, "You have said so."
(イエスを裏切ったユダが答えて言った。「先生、まさか私ではないでしょう。」 イエスは言われた。「いや、あなただ。」)

クレンペラーのマタイではこうなっています(0:35:30あたりから)。

Bin ich's, Rabbi?(師よ…もしや私のことですか?)
Er sprach zu ihm:(イエスはユダにこう答えた。)
Du sagest's.(そのとおりだ。)

ところが、ここまで言われたユダはその後も続けて晩餐会に参加しており、なんとなく不自然な印象があります。裏切り者はお前だとみんなの前で言われたのに、どうして平然と参加し続けていられるのか、受難曲でこんな劇的な出来事には常に挿入されるアリアやコラールもないし・・・これが私の抱いた疑問でした。
これらも訳が悪いのではないかと思います。

「先生、まさかオレのことじゃないよね(笑)」
(にこりともせず)「お前が言った通りかもしれんぞ」

くらいが適当のような気がしてなりません。

ちなみに聖書研究家として有名な田川さんと言う人は、この部分をこんなふうに訳しておられるそうです(カッコ内は私の付け足し)。

「ラビ、まさか私ではないでしょうね。」 
(呆れた顔で)「おまえがそう言うのか」

俗に言うおまゆうですね。
「そのとおりだ」よりはずっと当たりが柔らかくなっています。

こうして粗探しをしていて気がついたのですが、バッハの「マタイ受難曲」は「マタイによる福音書」の文章をかなり忠実に再現しているので、聖書の勉強にはもってこいです。しかも、要所要所にアリアやコラール(讃美歌)が挿入され、それがその箇所の正しい解釈に情緒的に誘導する役割を帯びているので、思わず聖書の正しい理解に導かれていきます。
バッハは本当に天才です。

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