ギターの高み
昨日藤圭子の歌をYouTubeで聴いていた時、突然あるメロディーが浮かんできました。哀愁を帯びた、切ない感じの美しいメロディーですが、日本の歌ではありません。
初めは何かイタリア映画のサウンドトラックかと思いました。
「道」「鉄道員」「ジェルソミーナ」「禁じられた遊び」・・・。
一つずつ確かめましたが、全部違います。
その時、そのメロディーがギターで奏でられているような気がしたので、もしやと思い"Johanna Beisteiner"で検索したら出てきました。
シューベルトのセレナーデ
なんとクラシックでした。
Johanna Beisteinerは私が最近よく聞いていたギタリストです。
なぜかそれほど有名ではありませんが、素晴らしいテクニックと音楽性を備えた(私見では世界最高の)ギター奏者です。
彼女が弾いたシューベルトのセレナーデが耳に残っていたんですね。
こちらです。
それにしても、藤圭子とシューベルトがこんな風に直結するとは思いませんでした。
それで思い出したのが、高校時代の友人N君です。
彼は熱狂的なギター信奉者で、それは常識を破った「信心ぶり」でした。
こんな具合です。
すべての音楽の中で一番偉大なのはギターである
モーツァルトのオペラよりも、ベートーヴェンの交響曲よりも、ギターが上である
作曲者と作品と演奏手段を全く区別しない彼の論理は、われわれ悪友たちの格好のからかいの対象となっていましたが、彼はそのような批判など歯牙にもかけず、相変わらずギターが最高と言い続けていました。
その後の消息は定かではなく、大学は卒業したのか中退したのか知りませんが、ギター教師になりずっとそのままだと聞きました。
ギターに捧げた人生のようです。
その彼のことを思い出したのが、このJohanna Beisteinerだったのです。
たとえばこの曲の場合、シューベルトの紡ぎ出す(イタリア映画音楽を連想させるような)哀愁と微妙な感情の揺れや息遣いはピアノでは表現できず、ギターという楽器にして初めて可能であることを実感しますが、それは言い換えればN君の言っていたことではないだろうか?
彼は、ギターでしか引き出せない音楽の最深部が存在していることを言おうとしていたのではないだろうか?
そして多分、人間の声、しかも選ばれた特別な人間の声もまた、この神の領域を表現することができ、藤圭子はその稀有な声の持ち主だったと思うのです。
もう一曲、彼女の演奏で有名な「アルハンブラの思い出」をお聴きください。
この曲は、和敬塾時代に同室だった島津久長君(彼もアコースティックギターの名手)がよく弾いてくれました。懐かしいです。
今日もジムに行ってきました。
しばらく見かけなかったじいさんたちがだいぶ復帰しているようでした。
ただ、コロナ休暇のおかげか、体力的にはかなり衰えた印象がありました(姿勢や動作)。
夕食はチキンステーキ。
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