『バカ老人たちよ!』
勢古浩爾『バカ老人たちよ!』(夕日新書)を読みました。
表紙の裏に
年寄りがいたるところに進出している。
人生100年時代、楽しまなければ損、とばかりに
傍若無人な立ち居振る舞いが目に余る昨今である。
ひとのバカ見てわがバカ直そう。
殷鑑遠からず。
とありました。
勢古節という威勢の良い語り口が人気らしく、佐藤愛子の男性版なら面白いかもしれないと思いました。
期待して読みましたが、それほどでもなかったかな…。
著者は私より一歳下の物書きで、従って感性はあまり違わず、比較的抵抗なく一日で読むことができました。
タイトルのバカ老人とはどんな人たちを指すのか、興味を持って読み始めたのですが、著者自身もあまりよく考えずに書き始めたみたいです。本書の前半は、その辺りをグダグダ論じていて面白いとは思えませんでした。
どうやら、バカ老人とは「(もともとの)バカが高齢化社会で歳をとった姿」を指すようです。
従って、たくさん挙げられている実例も、歳をとったがゆえに現れてくるバカのありようというよりは、歳をとってもまだやっているバカ、バカは死ななきゃいつまでもバカ、というものばかりでした。
たとえばこんな人たち:
突然キレるカスハラジジイ
どこにでもいるセクハラジジイ
パワハラ・セクハラまみれの議員/首長センセイ
マッチングアプリで知り合った女性から大金を巻き上げられた色ボケジジイ
・・・・・・・・
本書にはこんな人たちの実例がわんさか載っていますが、私は飛ばし読みしました。
こうしたバカ老人の最高峰として槍玉に上がっているのが黒岩神奈川県知事で、暴露された彼のエロメールの酷さは当時話題になりましたが、考えてみたら彼は現在でも神奈川県知事のままなんですよね。唖然とはこのことですが、相変わらずこれも老人論ではありません。
ここから、話はテレビの人間に移るのですが、著者は製作側も視聴者側もバカだらけだとまとめてバッサリ。
たとえば、テレビに出ている芸能人に街で出会ってキャーキャー喜ぶ芸能バカババアとか。
そして、テレビも新聞も、ニュースなるものはほとんど全て不要である、知っても不愉快になるだけでなんの意味もないと断言します。
さらにパワハラボケジジイの田原総一郎は引っ込めろ、とか、スポーツ中継番組に芸人を出すな、とか、ここら辺は私と波長が合っていて気持ちよく読めました。
年寄りをシニアというインチキ言葉で呼ぶなとか、何かというとギネスに群がったり、BBQだサウナだカラオケだ、とか頭悪すぎるぞ。
しかし、これもバカ「老人」論とは言い難い。
そうそう、世界の三大バカ政治家として、プーチン、習近平、それにミャンマーのアウンなんとかいう人が挙げられていて、その特徴は①自分がバカと思っていない ②平気でウソをつく ③若い頃からバカ ④俗情のかたまり だそうですが、本書出版後に登場したトランプなら文句なしに仲間入りするでしょう。
最近政党(幸齢党)を立ち上げたらしい和田秀樹も登場し、主張は間違っていないが、人生100年時代に悪ノリして煽っていると不快感を示しています。
私がチクリと感じたのは「体自慢のジジイ」批判で、"いい体かもしれんが、所詮はじいさん""皮膚なんか年相応に汚い"と手厳しかったです(笑)。
「年寄りは何事も自慢しない方がいい」
「老人の皆さん、何に焚き付けられてるのか知らないが、色々なことをやり過ぎる」
全くもっておっしゃる通りです。
ところが後半に入って、トーンが変わってきます。
今度は素敵な老人が登場して、それとの比較でバカ老人を否定するのです。
まずは小津安二郎の『東京物語』に出てくる老夫婦。
久しぶりに子供達の住んでいる東京に出てきたものの、彼らには迷惑がられ、温泉旅行でもどうぞていよく熱海に追い出され、その熱海がうるさくガサツなところで、まいってしまった二人は翌朝海岸に行き、海を眺めて「そろそろ(自分らの家に)帰ろうか」「そうしましょう」となるお話です。
不満を顔に出さず静かに境遇を受け入れる、その佇まいが素晴らしいそうです。
次の事例は、映画作家の信友直子『ボケますから、よろしく』に出てくる彼女の父親で、93歳ながらアルツハイマーになってしまった妻85歳に代わって淡々と家事をこなす、その姿が素晴らしいそうです。
勢古さんは、自分や自分のような多くの年寄り男性なら、きっとオタオタして大騒ぎするところを、この人はあっさり受け入れて不平一つ言わない、そこがすごいと絶賛です。
私もそう思います。
このお父さんの言葉です。
まあ、これも運命よ。定めじゃわい。おっ母には今まで家のことをようしてもろうたんじゃけん。おっ母がおかしゅうなったら、今度はわしが代わりにしてやらんと。
それはそうですが、だからと言って誰でもこんなふうに考えられるわけではないでしょう。
そして、この奥さんは数年後に亡くなってしまいますが、最後の時、妻の手を握ってこう言います。
おっ母、今までありがとね。あんたが女房で、わしはほんまにいい人生じゃった。わしもすぐ行くけん、あんたは先に行って待っとってね。またあの世でも仲良う暮らそうや。
ジーンと来ました。
娘の直子さんが映画作家で、これらのシーンを録画していたから残っていたんですね。
本書の締めくくりとして、著者はこうした静かに自分の足で立って生きている老人たちを視界に入れながら、そこそこの老後資金とまずまずの健康があれば、老後なんて何の問題もないと言い切ります。
それを生きがいやら趣味やら人付き合やらは、ちゃんとあるか?などと騒ぎ立てる人たちが多過ぎる。うるせえんだ、ほっといてくれ。
(ボッシュ刑事シリーズのある作品で)人間の残酷を嫌というほど見つめてきた刑事が、砂漠に生えているデザートスターという美しい花を指して「神はまさにここにいる」というシーンがあるそうです。
芥川の杜子春の最後で、仙人にこれからどんな人になりたいかと聞かれ、「人間らしい正直な暮らし」と答えるシーンがあるそうです。
単純で嘘のない生き方が、バカ老人化する危険から救ってくれる、これが結論のようです。
人は見過ぎ、考え過ぎ、買い過ぎ、食べ過ぎ(司馬遼太郎)
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