『底が抜けた国』

山崎 雅弘『底が抜けた国 自浄能力を失った日本は再生できるのか?』 (朝日新書)を読みました。著者は名著『第二次世界大戦の発火点 独ソ対ポーランドの死闘』を著した戦史研究家ですが、その歴史研究から読み解いた現代日本政治の変質を論じた書です。

ここで「底が抜けた」と彼が指摘する現代日本政治の問題点とは、次のような諸点です。

1.悪人が処罰されなくなった社会
 かつては「汚職」だったことが「政治とカネ」問題にすり替えられ、政党交付金・企業献金・パーティー券という三大資金源の裏金事件でもほとんど誰も起訴されなかった、等々。公文書も勝手に廃棄して事実検証を妨害するのが普通になった。
2.「権力監視」の仕事をやめたメディア
 論理的思考でなく形式的思考(両者の言い分を平等に取り上げたれ流す報道など)で軽く済ませる姿勢に終始。
3.軍拡と戦争に前のめりになった政財界
4.不条理に従い続ける国民
 政治家の詭弁・嘘・はぐらかし(「ご批判は当たらない」「記憶にございません」「お答えは差し控える」「適正に処理されている」など)に無抵抗で主体性を放棄。その方が楽?

つまり、これまでの良識や常識レベルの自浄作用が消失した(=昔だったら許されなかったことが許される社会になった)ことをもって「底が抜けた」と表現しています。そして、日本は権力が利益追求に走る後進国・三流国家・野蛮国に転落したと手厳しい評価が続きます。
著者によれば、このような状況は戦前と酷似しているそうで、そのことを歴史的事実を踏まえて詳細に述べているのが特徴です。

このような自浄作用の消失は全て第二次安倍政権の時に起きていて、それは彼が日本では「保守」の政治家と位置付けられているが、海外メディアでは(統一教会問題とからめ)「過激な国家主義者」と評されていたことと関係があると指摘しています。
私はかねて安倍政権の国家安全保障観は支持するが、その政治手法は問題が多いと考えてきましたが、本書の視点はその感想を裏付けるものでした。

しかし、ではなぜ安倍晋三が登場したのか、その「歴史的必然」については、本書では特にこれと言った指摘がなされていない点に、私としては満たされない思いが残りました。
ほぼ同じ頃、世界ではトランプに代表される政治家が登場し始め、いずれもコストのかかる民主主義より旗幟鮮明で「決められる政治」を好む大衆によって支持されるようになりました。
言うならば、アンチ民主主義の底流があってこその安倍政権だったのではないでしょうか。

著者はこの本を50年後の読者に評価してもらうことを念頭に書いたと述べています。
果たしてその頃、この本が人々の記憶に残っているでしょうか。

コメント

人気の投稿