『自分がおじいさんになるということ』
『バカ老人たちよ!』がまあまあ面白かったので、同じ勢古浩爾の『自分がおじいさんになるということ』も読んでみました。
なるほどと思うことが書かれていたので、メモしておきます。
彼は本書執筆時点で74歳ですが、71歳の時に脳梗塞を患いました。
その時に、生きているのと死んでいるのとどちらがいいか考えてみたそうです。
その結果は・・・
生きているということは、明るい、温かい、そして息をしている、動く、笑う、歩くなどのイメージを伴うのに対し、死んでいるとは冷たく、暗く、時間の止まった世界のイメージで、文句なしに「死」より「生」の方が好ましいと感じられたそうです。
そして、この五感に訴えてくる「生」の楽しさを構成する生きる元素ともいうべきものがあることに気づきました。
彼はそれを「自然元素」と「身体元素」と名づけますが、要するに自然元素とは小鳥の囀りや木々のざわめき、風の匂い、水の流れる音、雨の滴の質感などの自然界からもたらされる感覚刺激であり、身体元素とはそうした自然の中でからだの自由がきき、五官が働き、人と話したり、飲食ができたりするという身体の機能性のことです。
脳梗塞から生還した著者の実感と思われます。
この「発見」の何が大事かというと、人生の中から余計なものを剥ぎ取った後に残る純粋な生の喜びが自然元素と身体元素なら、老人の人生は無敵なものになり得るということです。
BBQやカラオケ、サウナ、パーティ、芸能人、ニュース・・・は、これ全て人工的で余計な存在だから、なくてよし。そうしたものが失われたと言って嘆くのが老人ならば、心配無用、生きているだけで楽しいよと言ってあげることができるからです。
著者はルイ・アームストロングの名曲「この素晴らしき世界」を取り上げ、あそこで歌われている自然や人々はどれも自然元素と身体元素に還元されるではないかと指摘しています。
養老孟司は人間の「報酬系」には二種類ある、と言っているそうです。
一つは More 報酬系で、イベント志向の「楽しさ」追求型(ドーパミンが働いて作動する)、
もう一つは Here & Now 報酬系で、存在自体に「愉しさ」を見つけるもの(セロトニン、オキシトシンが作動)だそうです。
勢古さんは、自分の言う自然元素や身体元素が呼び起こすのは後者のHere & Now 報酬系で、まさにじんわりと湧き上がってくる愉しさ・喜びに特徴があると述べています。
このタイプの愉しさを味わうには、ただ近所を歩くだけでよく、写真が趣味ならそこで写真を撮っても良いし、その他読書や音楽・絵画鑑賞、句作なども一人でいつでも気ままに愉しめる活動として好ましいそうです。
本書の残りの部分では、著者の趣味である自転車や読書、映画、音楽、旅についてうんちくが語られていました。
まとまりの悪さは、ネットメディアの連載記事を寄せ集めた本だからでしょう。
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