日本人とロシア人
以前にも書いたことがあったかもしれませんが、私は何度かロシアに出張したことがあります。
当時のモスクワ支部長のGさんはロシア人と結婚されていましたが、それだけでなくコサックの名誉隊員(みたいな肩書きの持ち主)でもあり、ロシアを深く愛しているようでした。
その理由を尋ねると、「だって日本人とロシア人の感性には相通じるものがあるんだよ。日本人は皆ロシア民謡とかチャイコフスキーとかが大好きでしょ。こんな民族は他にいないよ」とのことでした。
笹谷さんの古縄文人がロシア人のルーツだという説を知った時、真っ先に思い出したのがこれでした。
また、私個人もロシア的感性に共感する部分があるようです。
川端香男里『ロシア その民族とこころ』によると、ロシア人の抱く自由のイメージはこんなものだそうです。
英語で自由(freedom)といえば、それはまず圧政的支配からの市民的自由を意味する。つまり、具体的な積極的自由である。もう一つの英語 liberty も、その語源をたどってフランス語の liberté (リベルテ)、ラテン語の libertas (リーベルタース)までいくと、奴隷状態から解放されて与えられる市民的自由、政治的自由という意味合いを帯びてくる。
これに対し、ロシア語の自由を表す言葉は、スヴァボーダ(←スヴォイ(自分の))、ヴォーリャ(意志の意で自由意志、勝手きままというニュアンスがある)、ラズードリエ(広々とした場所→呑気な暮らし)など種々あるが、いずれも積極的に何かをする自由というのではなく、勝手きままにふるまう自由、わずらわしいことを忘れる自由、広々としたところでくつろぐ自由を表すという点では共通したところがある。
こうしたロシア的自由の背景には、広大で茫漠としたロシア的自然があり、また一方で常に存在した専制政治の圧力下で奪われ続けた自由に対する渇望や無力感があるわけですが、この独特な自由の感覚を川端さんは「アナーキイ」と表現しています。
たしかに私の中にもこのようなアナーキイな傾向があり、それがロシア的情緒に対する共感を呼び起こしているようです。それは最近の山登りの傾向にもよく現れています。
一言で言うと、激しい登山、テクニカルな登山に対する興味や虚勢が薄れ、人気のない広大な自然の中に身を置いて、ゆっくりのんびり旅をしたいという気持ちです。そしてそれは決して歳をとって体力が落ちてきたためばかりではなく、昔からそういう傾向(わずらわしさから遠ざかり気ままに過ごす時間を持ちたいという切望)があったように思うのです。
これまでそれは個人的なものと思ってきましたが、笹谷説が正しいとすると、案外多くの日本人に共有されている感覚なのかもしれません。
(続く)
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