音楽的感性はどこから来るか
私は昔からクラシック音楽が大好きでした。そして、それと対比するように日本の歌謡曲(演歌)がそれこそ死ぬほど嫌いでした。父も美空ひばりが大嫌いだ(あのサビを利かせて歌うのが虫唾が走る)と言っていましたから、その影響もあったとは思いますが、それだけでなく何か本能的に嫌っていたように思います。
そのころは(今も?)クラシック音楽は高級で演歌は低俗というランクづけがなされていたので、子供の頃私がクラシックが好きだというと「お高いやつ」と見られたりもしましたが、私の中では決して上下の感覚では捉えていなくて、演歌はただただ嫌いでした。
最近になって藤圭子の歌を聴いていいなと思うようにはなりましたが(笑)。
クラシック音楽と歌謡曲の他に、雅楽というのがあります。
これは好きとか嫌いとかではなく、異質で理解の及ばない音楽という印象です。聴いたとき、脳の反応する部位が違うような不思議な感じを受けます。
一体このような音楽に対する感性の違いはどこで生じるのでしょう。
最近読んだ笹谷政子さんの本『日本語の起源』には、これは本能つまり遺伝子のレベルで決まると主張されています。
この方は1941年に芸大のピアノ科を卒業された方ですが、畑違いの分野である日本民族の起源について言語面から精力的に研究され、数冊の本を出版されています。すでに物故されていますが、音楽的感性の起源について私と同じ疑問を抱き、膨大な考察の結果、日本語は、従って日本民族は三層からなることを突き止めました。
第一層:旧石器時代〜縄文時代:陸続きだった大陸からコーカソイド(白人)が来て定住し、印欧型言語である原ロシア語を話していた(四万年前から三千年前)
第二層:弥生時代~古墳時代:トルコ系民族が渡来し縄文人を討伐(エゾ征伐)、ウラル・アルタイ語の一種である原トルコ語を話していた(三千年前から紀元後七世紀ごろ)
第三層:奈良時代以降:半島から朝鮮系民族が渡来して支配権を握り、朝鮮語に第一層・第二層の言語を取り入れやまと言葉を完成させた
(ちなみにnaraは朝鮮語で나라:国を意味するそうです。)
そして笹谷さんによれば日本人の音楽的感性は
第一層の遺伝子(EU、これは他にヨーロッパ人だけが保有)を持つ22%の人々はクラシック音楽に惹かれる
第二層の遺伝子(CY)を持つ人々は雅楽に共感する
第三層の遺伝子(MY)を持つ人々は邦楽・演歌に共感する
のだそうです。
ここに言う遺伝子型とは、JC(ヒトポリオーマ)ウイルスの持つ遺伝子型で、母親から受け継ぐとされています。
驚きました。
そして確かにオーケストラの団員には黒人はいないし、黒人のクラシック演奏家は見たことがありません。ジャズピアニストにはすごい人が何人もいるのに、です。
遺伝子が違うから受け付けないのでしょうか。
また、ヨーロッパから遠く離れた極東の日本人の中から一流のクラシック音楽家が輩出しているのも、こう考えると不思議でも何でもないことがわかります。
笹谷さんの説では、もともとの第一層の白人たちは氷河期で陸続きだったユーラシア大陸から日本に渡ってきてロシア語を話していたが、氷河期が終わり海面が上昇して島に取り残され、やがて第二層第三層の渡来人によってジェノサイドの憂き目を見たそうです。
しかし、東北地方などにわずかに残った縄文人もいて、現在でもごく少数ながら彫りが深く青い目をした日本人が生まれ続けている理由になっているそうです。
一方、大陸側にいた人たちは新天地を求めてユーラシアを放浪し(スキタイ民族など)、やがて現在のロシア人になってロシアや東欧、ベラルーシ、ウクライナなどに定住するようになったのだとか。
驚くような壮大な仮説ですが、実は私には思い当たるところがあり、そんな馬鹿なと一笑にふすことができません。
(続く)
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