疲れと回復の感覚
私たちがくたびれたと感じる時、それは大なり小なり精神的な疲れであると同時に肉体的な疲れでもあります。
精神的に不安になれば、食欲が低下し夜寝られなくなるなど体も変調をきたしますし、病気になれば元気な気持ちは消え失せます。
完全にどちらか一方だけということはないように思いますが、心と体の密接な関係を考えればそれも当然でしょう。
くたびれた時、私たちは「だるい」と言います。
体が重い、心も重い、何もしたくない。
放っておいてもらいたいとか、横になって眠りたいなどとと思います。
しかし、同じ疲労感でも、重苦しくなくて心地よい「気だるい」感じもあります。この二つはどう違うのでしょうか。
だるさや重さの感じとは、「疲れ」の感覚なのだそうです。
そして疲れを「外に出す」ことにより、それは解消されていきます。
その時の感覚が心地よい気だるさなのだそうです。
つまり、重苦しい疲れが心地よい気だるさとして感じられるようになった時、疲れが取れて行っていることになります。
これは進行形の感覚です。
これに対し、嫌なだるさ、嫌な重苦しさというのは、疲れが全然取れて行ってない感覚であり、この状態であるうちはいつまでたっても疲れは消えません。
ここで無理をすると、心の病になってしまう恐れがあります。
しかし、この嫌なだるさを心地よい気だるさに変えていければ、疲れは取れていくそうです。
そのためには、休息し、心も体もだらんとさせて、だるさが気だるさに変わっていくのを待ち、その感覚を楽しむことが求められます。
その時、「ああ、疲れが取れつつあるなあ」と思えればパーフェクトです。
しかし、いつまで待っても心地よい疲れに変化しない時があります。
疲れが芯にたまりすぎていて、表面に出てこない場合です。
アフタークリニックの某会員さんは、休息イコール怠けという認知が強すぎて体の疲れの感覚が麻痺し、どんなに疲労困憊しても心の奥で休息することを拒否し続けたために、とうとうエネルギーが枯渇し、うつ病になってしまいました。
そうならないようにするためには、芯の疲れを表面に押し出すテクニックが求められます。
芯の疲れは直接手が届かず、表面に押し出さないと取れないからです。
芯の疲れを表面に押し出す前に、まず表面の疲れを消し去る必要があります。
そうしないと芯の疲れが出てこれないからです。
これは気だるさの感覚に浸り続けていればOKです。
表面の疲れが消えて行っても、芯の疲れが次々と表面に出てきている場合には、強い眠気に襲われることもありますが、これは非常に心地よい眠りであり、それを味わっている間に芯の疲れが表面化し消えていきます。
眠りは最強のソリューションです。
しかし、表面に疲れは現れていないが、芯にだけ疲れが頑固に残っている場合があり、そんな時はだるさではなく「イライラ」した感覚に襲われます。
この状態を打ち破るには、全身に揺さぶりをかけることが効果的です。
激しいスポーツや激しいリズム音楽などです。
それ以外にも、号泣するなどの「感情の爆発」や、興奮をかき立てるような「刺激的な映画」なども効果があるとされています。
まとめると
- だるさは疲れの感覚である
- 気だるさは表面の疲れが消えていく時の感覚である
- 休息し気だるさの感覚を楽しめれば表面の疲れは取れる
- イライラは表面化できない芯の疲れの感覚である
- 激しいスポーツや激しいリズム音楽などで揺さぶれば芯の疲れは表面化する
- 眠りは最強のソリューション
夕食はヒレカツ。
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