母の残した「昔語り」
母が生前、昔の記憶を語り書きしたものがあったので、その一部をここに書き写します。
遠い記憶の闇の中に飲み込まれそうな薄明の故郷です。
きつね その1
わたしが子どもの頃に住んでいた家は、前明山(通称 <ぜんのやま> )にありました。
江川(阿久比川の下流)の堤の傍らには、わずかな家しかなく、あとは畑ばかりという静かな所でした。
お稲荷さんが目の前にあり、毎晩のようにキツネが現れました。
朝になって近所の人が見回りにくると、足跡がついていたので、すぐわかったそうです。それは、犬のように小さい足跡でした。特に、雪の朝は、はっきりと見えました。
「こりゃ、ゆうべも出たぞ。」
と言い合うおとなたちの様子を、今もはっきりと覚えています。
お堂
乙川の方へずっと続いている堤防(阿久比堤防)に、小さいお堂がありました。子どもたちは、そのお堂によく遊びに行っては、おさい銭として5厘や1銭ほどを投げ入れていました。
また、そのお堂から下の方に散歩がてら行くと、ちょっとした野外劇場のような広場とやや広いお堂があり、そこを舞台にして素人の芝居や踊りが披露されました。出る人たちはたくさんいて、練習もとても楽しそうにしていました。わたしは恥ずかしくて、もっぱら見る方にまわっていましたが、見るだけでもとても楽しみでした。
現在のお堂がこれです。
その頃はテレビなど無く、楽しみは近所や学校のいろいろな年中行事くらいのものだったと思います。
きつね その2
わたしが10歳くらいのころにあった話です。
その頃、わたしは江川のほとりの家に住んでいました。
その辺りは、人家もあまりなく、堤防の上の細い道は、
夜になると真っ暗でした。
ある夜のことです。
わたしは寝ていて、ふっと目を覚ましました。雨が降っていてその音で目を覚ましたようでしたが、いえ、もっと別の音が聞こえたのです。
それは、人の歩く足音でした。こんな夜中に変だな、キツネかしらと思い始めたら、すっかり目が冴えてしまいました。そこで、そうっと起き上がり、外へ出て垣根の方へしのび足で近づいていき、垣根の外をこわごわ覗いてみました。するとどうでしょう。わたしが覗いているすぐ外の道を、きれいに着飾った女の人がからんころんと下駄の音をさせて歩いているではありませんか。その人は傘をさしていて、とても静かに、あっという間に姿が見えなくなってしまいました。
わたしは足ががくがくして、やっとのこと家に走り込み、
「おとうちゃん、起きて。今、きつねが出た」
と寝ている父を揺さぶりました。父は
「お前が寝ぼけていたんだろ。」
といって、取り合ってくれませんでした。
でも、わたしは今でも、あれは絶対に寝ぼけたのではないと思っています。だって、あんなにはっきりと見えたんだし、下駄の音もあんなにはっきりと聞こえたんだもの。
その後ときどき雨戸の節穴から外を覗いたけれど、もう二度とあのきれいな女の人の姿を見ることはありませんでした。
この話は私も母からよく聞かされましたから、よほど強く印象に残っていたのでしょう。誰にも信じてもらえなかったことが相当悔しかったものと思われます。
母の記憶は「狐の嫁入り」と混同している面もありそうですが、いずれにせよ、村落共同体の共同幻想に触れた記憶なのだと思います。
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