不老長寿の最新情報

先日の日記で少し触れた老年医学の本です。
 デビッド・A・シンクレア『LIFESPAN 老いなき世界』2020
500ページもある大作ですが、最近これほど夢中になって読んだ本はありません。内容は非常に高度ですが、頑張って全部読み切り、今は二度目の読書中です。
自分のためのメモとしても役立てたいと思い、内容をまとめてみました。

著者は老年医学の研究者で、ハーバード医学大学院の遺伝学の教授だそうです。
あの長寿遺伝子サーチュインで有名なガレンティの仲間だという方が分かりやすいでしょう。
本書にはこんなことが書いてありました。

1.老化は一つの原因によって引き起こされる「病気」であり、その治療法も見えてきた。

→三石さんは老化の原因は活性酸素だという立場ですし、他にも細胞分裂の上限を定めているというテロメア説などいくつかの老化原因説がありますが、この本で述べられているのはもっと原理的な話です。老化が治療できるということは、単に寿命が伸びるだけでなく、元気に暮らせる健康寿命が大幅に伸びるということでもあります。

2.老化の原因は、エピジェネティック・ランドスケープ(後成的風景)の劣化である。

→懐かしい言葉が出てきました。数理生物学を専攻していた私が、学生時代に出会った不思議な概念がこのエピジェネティック・ランドスケープです。
ウォディントンという人が、生物の発生の仕組みを説明するために用いた模型のことで、卵細胞が分割を繰り返していくうちに次第に機能分化していき、皮膚の細胞、血液の細胞、骨の細胞などに枝分かれしていく現象をこのような模型で説明しました。
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/30/interview01.html


山の上からボールを転がすと、地形によって落ち着く先が異なることにたとえたもので、この地形のことをエピジェネティック・ランドスケープと言います。
私は単なる説明用の模型に過ぎないと思ってきましたが、本書ではこれにはちゃんとした物理的実体があると説明され、自分の習った学問はすっかり古びていたことを痛感しました。
その実体とは、二重らせんであるDNAの複製が行われるときには二重らせんがまず一本ずつにほどかれますが(開裂と言います)、その時にある種のタンパク質が二重らせんの一部に(おんぶおばけのように)ギュッと抱きついているとほどくことができず、その部分の遺伝子は複製できないことになります。どんな細胞でも遺伝子情報は全て揃っているのに、皮膚の細胞が何十年経っても皮膚以外になれないのは、このようなおんぶおばけが邪魔しているからです。つまりおんぶおばけは遺伝子のスイッチであり、これこそがエピジェネティック・ランドスケープの実体なのだそうです。
エピジェネティック・ランドスケープは親から子へ遺伝します。
そして、これが劣化すると、谷の深さが浅くなり、細胞が上流や隣の谷に移動してがん細胞になったり奇形細胞になったりし、機能不全を引き起こしてその積み重ねで生物は老化するのだそうです。
私の皮膚には産毛が生えていますが、時々太い毛が一本だけにゅっとのぞいていたりすることがあり、あれがそうなのだと実感しました。

3.原始の細胞にあるとき修復回路(化学回路)が埋め込まれ、これが我々の細胞に至るすべての細胞中に存在しているので、これを活性化すれば老化を防ぐことができる。

→この回路は二つの遺伝子AとBを使って作動します。
遺伝子Aは水が干上がって乾燥状態になるなど「環境が悪化する」と作動し、細胞の分裂(生殖)をストップさせる働きがあります。再び水が満ちるまでじっと待つわけです。
遺伝子Bは「環境が良い」時にこの遺伝子Aの作用を抑制する働きがあります。つまり、繁殖に適した良い環境にある時には、遺伝子Aに邪魔させず存分に繁殖するためです。
ところがある時、この遺伝子Bに突然変異が生じ、(ストレスがかかった時)遺伝子Aを抑制する代わりに傷んだDNAの修復を行うようになりました。すると、遺伝子Aは抑制されなくなるので、DNAを修復している時には遺伝子Aが作動して細胞の分裂(生殖)がストップします。DNAを修復する時には二重らせんを一旦ほどきますが、一本鎖の状態は大変危険で、外部の影響を受けやすくDNAが変質してしまい、その結果遺伝情報が壊れてしまいやすいのです。もしこの時細胞分裂が行われると、この壊れた遺伝情報が次世代の細胞に伝わって、細胞は癌化し生命は無秩序状態になり死んでしまいますから、遺伝子Bの突然変異はそれを防ぐ重要な役割を生み出したことになります。
まとめると、この二つの遺伝子AとBを用いる新しい化学回路により細胞の遺伝子の修復が安全に行われるようになり、生命は絶滅せずに繁殖できるようになりました。遺伝情報が次第に壊れていくことが老化の原因ですから、適切なタイミングでこの回路を活性化すれば老化せずに繁殖を続けることができるはずです。
これをサバイバル回路と呼びます。
私が著書『理系のからだ改造記』の中で紹介した(M, R)システムでは、修復と代謝と輸送の三機能が正常に働き続ければ生命はいつまでも動作すると考え、修復機能は栄養条件が完璧であれば動作すると仮定しましたが、それだけでなく、このサバイバル回路が活性化することが必要であることになります。

4.サバイバル回路はストレスだけでなく特定の物質によっても活性化する。

運動や絶食、低タンパク質の食事、高温や低温などに身をさらすことでサバイバル回路は始動しますが、さらに擬似的にストレス状態を再現するような物質を投与することでも活性化するそうです。
このようなサバイバル回路の燃料となる物質(サーチュイン活性化化合物STAC)には、次のようなものが知られています。
  • レスベラトロール:赤ワインに含まれていることで有名
  • ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)
  • ニコチンアミドリボシド(NR)
  • ニコチンアミドモノヌクレオチド(NMN)
  • メトホルミン:糖尿病の治療薬
本書の著者は、父親にあるSTACを投与した人体実験の結果について、こう記しています。

2014年に母が亡くなる頃、父は七十代半ばだったものの、まだかなり活動的ではあった。すでに67歳で引退しており、旅行や庭いじりを趣味にしていた。しかし、父にも容赦のない衰えが始まっているように見えた。境界型糖尿病と診断され、耳が少し遠くなり、視力も落ちてきた。疲れやすく、同じ話を何度も繰り返す。不機嫌になることが多くもなった。生き生きした老後とは程遠い。
父は境界型糖尿病の治療のために、メトホルミンの服用を始めた。翌年からはNMNも摂るようになった。
父はもともと物事を疑ってかかる性分である。反面、好奇心旺盛でもあるので、マウスを使った研究の話を私から聞いて大いに興味をそそられた。NMNは法律で規制された薬物ではなく、サプリメントとして買える。そこで父はまず少量から試すことにした。
とはいえ、マウスと人間では大きな違いがあることも重々承知していた。最初のうちは、私や皆んなから体調を尋ねられても決まってこう返したものである。
「何も変わらないよ。わかるわけないだろう」
だから、NMNを試して半年ほど経った時にあんなことを言い出すのは余程のことだったに違いない。
「大騒ぎしたくないんだけどね、確かに何かが起きているよ」
あまり疲れを感じなくなり、イライラが減り、頭もはっきりしてきたという。
「友達と足並みが揃わなくなってきたんだ。皆んなは歳を感じるとこぼしているし、ブッシュウォーキングにも出て来られなくなった。私はもうそんなことはないね。痛いところも辛いところもない。ジムのボート漕ぎ運動じゃ、ずっと若い連中に勝つくらいだ」
一方、父のかかりつけ医は、20年も異常だった肝臓の数値が正常になったことに驚いていた。

この父親は、今では激しいアウトドア活動をたくさんこなし、また、再び大学の委員会の役員として働き始めたそうです。
著者はこう述べています。

今までもずっとそんな風に生きてきたのなら、こういう姿を見ても別段驚きはしない。しかし、断じてそういう人間ではなかった。老後など少しも楽しみではないとよく話していたし、もともと人付き合いのいい方でもなければ、朗らかな方でもない。どちらかといえばネガティブな性格で、『クマのプーさん』に出てくるロバのイーヨーに似ている。だから人並みに10年ほど隠居生活を送った後は、介護施設に入るつもりでいた。行末がどうなるかも知れていた。自分の母親に起きたことを見ていたからである。七十代、八十代になって母親はめっきり衰え、最後の10年間は痛みと認知症に苦しんだ。それを父はなす術もなく眺めていた。

それが180度の様変わりをしたわけで、厳密な科学的検証を経てはいないけれど、これが起きたことに対し「他の説明が見当たらない」と述べています。
彼の言葉です。

"老化を「仕方がないもの」として受け入れるのをやめれば、人生はどれだけ素晴らしいものになるか、父は身をもって示している。"
"私と同じものを見れば、人類に何か大きな変化が訪れようとしていると信じずにはいられない。"

彼が現在実践していることは以下の通りです(詳細は本書を読まれたし)。
  • レスベラトロールとNMNとメトホルミンの摂取
  • ビタミンDとKの摂取
  • アスピリンの摂取
  • 糖質制限
  • 一日二食
  • 数ヶ月に一度の血液検査
  • 毎週ジムに行き、最後に氷のように冷たい水風呂に浸かる
  • 肉食を減らし植物主体の食事
  • タバコは吸わず、プラスチックや紫外線、放射能を避ける
  • 日中と就寝時は涼しい場所に居る
  • 体重に気をつける(BMI : 23〜25)

本書にはその他、寿命が著しく伸びた場合に起きる様々な問題やその解決策についての論考が綴られており、この問題が非常に深刻であることも暗示されています。
それらを含めて、現時点で老化に関する第一級の著作であると思いました。
繰り返しますが、簡単に読める本ではありません。私のようにある程度の専門知識があっても苦労しました。しかし、苦労して理解するだけの価値がある本であることは間違いありません。

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