無限の活動エネルギー?
先日は深呼吸で一時的にエネルギーを獲得する方法について話しました。
この方法は、血中の酸素濃度を高めるという完全に科学的な説明がつく方法であり、少しも神秘的なところはありません。
しかし、世の中には活動エネルギーについて科学的とは言い難い説明をする人が時々いて、それがまた何か真理を言い当てているように見えるのも事実です。
例えば、以前にも触れたことがありますが、東浦奈良男さんという一種の変人がいました。この人は27年間というもの、一日として休むことなく山を登り山頂に立ったので有名な人です。自動車にはねられて怪我をしても、入院せずに登ったというから相当の奇人です。残念ながら86歳で亡くなりましたが、連続登山一万日を目前にしてのことでした。
この人は克明に日記をつけていたのですが、その中にこんなことを書いています。
力は外にあり、体内にあらず。
また、そのころの自分が疲れ知らずである理由を突き詰めて、こうも述べています。
疲れなき、疲れ知らずのわけが分かった。もともと疲れはない。なかったのだ。歩力は、足力は、体外に無限、永久に満ち満ちている。これをただ吸い取ることをしなかっただけや。疲れは吸うことをしないところに生ずる。
一見すると、呼吸の重要性を指摘しているだけのようにも読めますが、体外にあるというエネルギーが無限だと説いているところが少し違います。
人のコントロールの及ばないところエネルギー源があるという発想は、実は意外に多くの先達が説いているところで、「20世紀最大のオカルティスト」(コリン・ウィルソン)と言われたG・I・グルジェフはこのような図を示しています。(今の人は、彼を「エニアグラム」の発案者と言った方がわかるかもしれません。)
この図を説明すると、人間は2つのエネルギーの「小蓄積器」とつながっていて、最初はAの小蓄積器からエネルギーを供給してもらっているが、Aが空になると疲れを感じて休みます。その間に別の小蓄積器Bとつながり、人はまた元気に働くことができるようになります。
小蓄積器は「大蓄積器」なるものとつながっていて、ここからエネルギーが補充されます(ただ、これは宇宙の無限エネルギー供給装置などではなく、どこかに隠された存在とされています)。
やがて小蓄積器のBも空になるので人は疲労し、休み、再び小蓄積器のAに連結されますが、十分な量のエネルギーがまだAに補充され終わっていないため、以前ほど働けずに、すぐ疲労がやって来ます。そしてまた休むと、小蓄積器のBに連結され、これもまだ十分にエネルギーが補充されていないために、たいして働けません。こうして人は両方の小蓄積器を消費してしまい、ついには疲労困ぱいに達してしまいます。
ところが、ここで「超努力」をし、感情センターという脳の中枢を刺激すると、人間は大蓄積器と直接に連結され、すさまじいエネルギーが直接供給されるようになるそうです。そうすると、いつまでも疲れ知らずに活動できるようになるとか。
ワクワクする話ですが、この「超努力」についてグルジェフはこんなふうに説明しています。
「……ある目的の達成に必要な努力を超える努力だ。私が一日じゅう歩いて非常に疲れていると想像してみなさい。天気は悪く、雨の降る寒い日だ。夕方、私は家に帰り着いた。まあ、25マイル(約40キロ)ばかり歩いたとしよう。家には夕食が用意され、暖かくて快適だ。しかし、座って夕食をとる代わりに、私はもう一度雨の中へ出てさらに2マイル(約3.2キロ)歩き、それから帰ってこようと決心する。これが超努力だ……」
マゾですね(笑)。
ただ、私たちは普段の生活で能力の限界を出し切る事はないので、小蓄積器のAとBを使う生活でやりくりしていますが、先ほどの東浦奈良男さんのような人は、あるいはこの「超努力」に似た体験をしているために、疲れ知らずの無限のエネルギーを大蓄積器から供給してもらっているのかもしれません。
しかし、科学の徒としては、例え話としては理解できるものの、本当にこのようなエネルギー蓄積器が体外に存在するとは信じられません。もし体内にあるのなら、すでに科学の力で発見されているはずです。
ヒントは、鏑木毅三『究極の持久力』を読んでいるときに得られました。鏑木さんはUTMB(モンブラン山群を寝ないで一周する160kmトレランのレース)で3位になったことのある日本を代表する耐久ランナーですが、そこにはこんなことが書かれていました。
- 脂肪1キロは9,000キロカロリーである
- 自分は体重60kgで体脂肪率5%だから3kgの脂肪をまとっている→27,000キロカロリーを保有している
- 理論上は自分の脂肪燃焼により無補給でUTMBを完走できる
つまり、エネルギーをミトコンドリア経由で脂肪からとれば、ほぼ無限に近いエネルギーが得られるわけで、実際、長距離レーサーはそれに近いことをしています。そして、最初は糖を燃やしてエネルギーを得ていますが、しばらく走っていると体が慣れてきて脂肪燃焼型の化学反応に移行し、そのとき気分が急に軽くなります。
セカンドウィンドとかランナーズハイと呼ばれる状態がこれです。
東浦さんの体外から供給される無限のエネルギーや、グルジェフの大蓄積器から供給される無限のエネルギーの正体はこれではないかと思いました。
一説によると、ヨガでは意識の力で体内の化学反応(代謝)をコントロールでき、雪の中で裸でも瞑想することにより雪を溶かすほど体温を上げることができるそうですから、グルジェフの場合も、別に長距離を走らなくても脂肪燃焼モードに移行できるのでしょう。
あるいは、例の超努力がそのための精神的なスイッチとして働くのかもしれません。
なんとなく、ですが、疲れを知らないで活動できる宇宙からのエネルギー(と彼らが思っている現象)の秘密がわかったような気がしました。
ただ、グルジェフの場合、それだけでは説明できない不思議なエネルギーを持っていたようです(だから彼に会った多くの人は彼を魔法使いと思った)。それは、このエピソードによく現れています。
グルジェフの古い知人フリッツ・ピーターズは第二次世界大戦の直後、パリで彼に会ったときのことを次のように書いています(当時ピーターズはベトナムで戦った米兵同様、戦争の後遺症のために神経衰弱寸前にまで追いこまれていた)。
私は彼に会うと非常な安堵と興奮を感じ、どうしようもなく泣けてきた。それから頭がくらくらし始めた。……彼は私を見てびっくりし、どうしたのだと尋ねた。私は頭痛がひどいのでアスピリンか何かが欲しいのだと言ったが、彼は頭を振り、立ち上がって、台所のテーブルのそばのもう一つの椅子を指した。『薬はだめだ』、彼は断固として言った。『コーヒーをあげよう。できるだけ熱いまま飲みたまえ』……私はコーヒーをすすりながらテーブルの上に倒れ込んだのを覚えている。
その時自分のなかに奇妙なエネルギーが沸き上がってくるのを感じ始めた──私は彼をじっと見つめた。それから無意識のうちに立ち上がった。それはまるで烈しい青い光が彼から発して私の中に入ったようだった。このことが起こると、私は自分の中から疲れが完全に消えてしまったのを感じた。
しかし、それと同時にグルジェフの体はくずおれ、顔はまるで生命を奪われたように血の気を失った。そして、よろめくように部屋を出ていった。まるでつい先ほどの自分のように。
つまり、グルジェフは何らかの方法によってピーターズに生命エネルギーを注ぎ込み、そのエネルギーはピーターズの心と体を癒したのですが、一方、グルジェフ自身を枯渇させ、疲労の極に達しさせてしまいました。だが、ほんの数分後、部屋に戻ってきたグルジェフには、もう疲れの跡はなく、彼はまた若者のように機敏で、ほほえみを浮かべ、元気いっぱいの様子だったそうです。
自分の生命エネルギーのありったけを病める他者に注ぎこみ、ほんの数分でまた自分を充電する──。そのような超能力を説明するには、脂肪燃焼型の化学反応では無理です。このような話は、ヨガの行者などにも多く伝わっているので、全くのデタラメとは思えませんが、真相は神秘の霧の中に隠されています。
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