空即是色
人間は単なる機械に過ぎない、と主張すると、大なり小なり反発されますが、私たちが「自己」と考えそこに「主体性」と「連続性」が存在すると考えるのは、果たしてどれくらい当たっているでしょうか。
こんな例を読むと、いささか怪しくなって来ます。
裕福なある人間がある朝目を覚ますと、嫌な夢の記憶で気分が悪い。髪をとこうとすると、ブラシが鏡にあたってヒビが入り、さらに気分が悪くなる。外出してタクシーに乗ると、その運転手の顔が誰かに似ており、 そこから連想が飛んで、すばらしくおいしかったメレンゲを思い出す。お気に入りのカフェに行くと、隣のテーブルに二人のブロンドの女性が座っていて、「彼は私の好みのタイプ」と言っているのが聞こえ、歓喜に打ち震える。帰宅してヒビの入った鏡を見てももうなんともない。 ビジネスの電話をかけると、間違った番号にかけてしまい、相手からひどくののしられると怒りが爆発する。そこへあなたにこびへつらった手紙が届き、それを読むとこの上なく幸せな気分になる……
グルジェフ:「ベルゼバブ」より
存在すると信じていたものが、実は何もなく空っぽだったことに気づくのは、一種の事件だと思います。仏教の方で「空即是色(くうそくぜしき)」と言いますが、あれは「物の本性は空(くう)だが、それがそのままこの世の一切のものであるということ」という意味だそうです。
わかりにくいです。
三省堂 新明解四字熟語辞典を引くとこうあります。
固定的な実体がなく空くうであることで、はじめて現象界の万物が成立するということ。万物の真の姿は実体がなく空だが、その空は一方的にすべてを否定する虚無ではなく、それがそのままこの世に存在する物の姿でもある意。▽仏教語。「空」は固定的な実体のないこと。「色」はいろ、かたちあるもの。この世のすべての物質的存在のこと。
この「空」というのがこれまでイマイチわかりませんでしたが、上の例を読むと自己は空であると言っても間違いではなさそうです。お釈迦さんはこのことを言っていたのでしょうか。
今日は天気が良かったので、久しぶりに港北ニュータウンの遊歩道をノルディックウォーキング(半分以上走った)してきました。紅葉が進み、綺麗でした。
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