TJAR戦士の影

以前、トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)に出場した選手たちについて、"体力的に優れたフィジカルエリートであるだけでなく、弁護士だったり外資系のコンサルタントファーム勤務だったり航空機エンジニアだったりと、職業人としても一流が多い"と書きましたが、実際はそんな人ばかりではなく、このままでは片手落ちだと思いそのいわば影の部分についても記してみようと思います。

望月将吾:言わずと知れた絶対王者ですが、その青春時代はかなり荒れていたそうです。南アルプスのふもとの井川という集落出身の望月さんは、工業高校に進学するもそこでグレてしまい(彼いわく「やんちゃ」をしてしまった)、退学処分を受けています。父親の奔走により一年後に復学しますが、現在の紳士ぶりからは想像できない過去であり、TJARに挑戦する動機の一部はここから来ているものと思われます。ちなみに、この辺りは望月姓が多く、武田信玄が敗れたときに落ち延びてきた重臣の望月某がルーツと言われています。

坂田啓一郎:2012、2014の二年連続で出場し、2012では望月を追って二位でゴールしたこの人も、すんなりとここまで来たわけではなさそうです。子供の頃から運動音痴で、クラス全員参加のリレーでは皆んなが彼の扱いで悩んだそうですが、高校卒業後、地元の自動車会社の工員として働き、毎日10時間、重い部品をかついで動き回っていたりした結果、意外なほど体力がついて来たことがこのような耐久レースに向かう要因だったと言っています。この人もあっさりと現在のポジションに達したわけではなさそうです。

北野聡:この人は、2012年の三月に甲状腺に癌が見つかり、四月に手術し、それをきっかけに「やるなら今だな」とTJAR出場を決意したそうです。四月に手術し、八月に本戦に出るというのは、体力的には無茶と言っていいと思いますが、余程精神的に追い詰められていたのかなと想像します。完走したのは見事と思います。

小畑剣士:2012出場し完走。スポーツ万能少年だったが、大学を卒業して大手広告代理店に就職したものの、会食続きで睡眠時間が毎日二、三時間の日々に自分を見失い退職。日雇いで収入を得る不安定な日々が続き、見かねた妻からお金はなんとかするからTJARに出てすっきりしたらと言われ、出場を決断したと述べています。再就職先が決まったのも、日雇いの現場に向かって走っている時だったとか。一旦は良い仕事についたものの、それに疑問を感じて・・・という選手は他にも何人かいるようです。

男澤博樹:東北のキノコ農家に生まれたが、農業を嫌ってYKKに就職し陸上をやるも認められず退職し出奔。ボクサーになろうと当てもなく上京するが、その日のうちに財布をすられホームレスに。親切な人に救われボクシングの道に進むが挫折し、荒んだ生活に身を落とすという漫画のような人生を送ります。外人と喧嘩し、意識不明の重体になり、気がつくと両親が枕辺に佇んでいるが「うちが貧乏だからこうなった」「大学くらい行きたかった」と追い返し、そんな自分に嫌気がさして再就職します。やがて、そこで頑張っている姿をお客に認められ、キノコ販売会社にスカウトされようやく生活が上向きになってきます。そんな中登山を始め、TJARの存在を知って衝撃を受け、挑戦することになりますが、こういう人もいるというご紹介です。

近内京太:2018で途中までトップをキープしていた近内さんは、京大卒の国際弁護士というとエリート中のエリートという印象ですが、順風満帆というわけではなく、司法試験も落ちまくって追い詰められた経験の持ち主です。自己暗示の本にはまり、その力を借りて乗り切ったという精神力の持ち主ですが、挫折経験も多く様々な苦労をしている人でもあります。

垣内(かいとう)康介:2018年の優勝者であるこの人も複雑な背景がありそうです。高校を出て消防士になりますが、両親や周囲の反対を押し切って退職し、世界一周の旅に出ます。本人は「カッコイイ」人を目指したと言っていますが、世界一周なんて金と時間があれば誰にでもできることだと思いいたり、それほどカッコイイわけでもないと気付きます。帰国してこれからは何でもできるはずだと思ったのに何もできず、農業などいろいろやったが長続きしなかったのは、自分の求めているものが何かよくわかっていなかったためのように見えます。今は結婚し、木工の仕事(家具職人)をしていますが、強いコンプレックスを持ち、心の中に何か影を引きずっている印象は優勝した今でも消えていません。

古澤法之:ゴールした直後、出迎えた妻を抱き抱えて海に飛び込んだ姿を見ると愛妻家を想像してしまいますが、実はほとんど会話がないという夫婦の危機に面していたようです。NHKが自宅に取材に行くと妻は外出し、日を改めて奥さんに会いにいくと旦那はいないというヤバい状態だったとか。研究職として粘着剤の研究をしていたが、自分の仕事が環境を破壊しているのではないかと考え(意味不明)、退職して現在はネイチャーガイドをしているそうですが、この辺りが不和の原因ではないかという気がします。TJAR後は少しだけ会話が復活したそうです。

秋元恒郎:嫌なことがあると何でもすぐポイとやめてしまう「逃げてばかりの人生にケリをつけたい」と思い、参加したと述べています。やはりこの人も何か悩みを抱えて悶々としている印象がありましたが、レースも最後はまともに動けなくなりリタイアとなりました。


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