「ヒグマを叱る男」と「知床旅情」

BS1で録画した「ヒグマを叱る男」というドキュメンタリーを観ました。
タイトルに惹かれたのですが、想像以上に深い内容の番組で観てよかったと思いました。



登場するのは大瀬初三郎さん(84)という漁師さんで、知床半島のルシャの番屋(漁のための拠点となる小屋)で寝泊まりしながら56年間もサケ、マスを仲間とともに獲ってきた人です。
彼は青森の漁師の家に生まれましたが生活が厳しく、23才の時故郷を離れて出稼ぎ漁師として知床にやってきました。
しかし、条件の良い漁場はすでに他の漁師の手にあり、残されていたのがこのルシャだったのです。

このルシャという場所はヒグマの巣窟で、周囲には約60頭ほどが生息しているそうです(知床半島全域では数百頭)。当初はハンターに頼んでヒグマを駆除してもらっていたそうですが、現在では大瀬さんが「コラッ」と叱るとヒグマはすごすごと逃げていくそうです。
何が起きたのか?

ルシャに落ち着いて10年ほど経ったある時、夢中で漁の準備をしていると、背後から音もなくヒグマが忍び寄ってきました。
その距離なんと3メートル!
驚いた大瀬さんは、思わず大声で怒鳴りつけましたが、すると意外にもヒグマは静かにその場を去っていきました。

これなら、ヒグマを殺さなくても大丈夫ではないか。
ハンターがヒグマを殺すことに疑問を感じていた大瀬さんに、アイデアがひらめきました。
子連れのヒグマに出会ったら、この要領で母グマを叱り、母グマが逃げる姿を子グマが学習すれば世代を超えて彼らは人間を恐れ近づかなくなるのではないか。
そう思ったそうです。

やがて、大瀬さんは自分なりのヒグマとの接し方を見つけることに成功しました。
それは、

  1. 絶対に食べ物を与えない(=親しくしない)こと
  2. ヒグマと目が合ったら、決して目をそらさないこと
  3. 叱る時は腹の底から声を出し、勇気を持って一歩前に足を踏み出すこと

というものでした。

実際、番組の中では何度も漁師たちの近くにヒグマが現れますが、大瀬さんが大声で「コラッ」と叱ると逃げていきます。
見たこともない光景でした。

至近距離にヒグマが登場するが何事もなし


大自然の中で生きるヒグマですから、当然ながら飢えることもあります。
大瀬さんは決して餌をやりませんが、そんなヒグマたちの境遇に胸を痛めています。

ある日、こんなことがありました。
飢えた母グマと2頭の小グマが番屋の近くでウロウロしていましたが、それを見ていた大瀬さんはたまたま近くの浜辺で大きなイルカの死骸を見つけます。すると彼は、死骸が波に流されないようロープで岩に縛り付け、そのまま放置するのです。
やがて先のヒグマの家族がそれを見つけ、喜んで食べ尽くします。
遠くでじっと見ていた大瀬さんは、腹一杯食ったなと満足げにつぶやいてその場を立ち去ります。
餌やりをしない大瀬さんのできる精一杯のことでした。
その目が少し潤んでいたようでした。

そんな彼の元を知り合いの歌手の加藤登紀子さんが訪れ、「知床旅情」を歌うシーンがありました。
ギター片手に歌う加藤さんに合わせ、少し音痴気味の大瀬さんが一緒に歌います。知床の番屋で歌うこの二人のカットは、なかなか胸に迫るものがありました。

知床旅情、本当にいい歌ですね。
心にしみるこの歌は、森繁さんの作詞作曲と言われていますが、知床住民の間で昔から歌われてきた元歌がベースになっているのだそうです。
加藤登紀子さんがカバーしてからよく知られるようになったそうですが、私は元祖森繁さんの歌いかたの方により惹かれるものがあります。
コンパでよく歌いました・・・。

番組の最後の方で、こんなシーンがありました。
ある程度成長した子グマを連れた母グマが浜辺に出てきます。
子グマは甘えたくて母グマの後を追って行きますが、なぜか邪険に追い払われます。
乳ばなれの時が来たのです。
しばらく追い払った後で、母グマは子グマを呼び寄せて乳を与えます。子グマはたっぷりと乳を飲んだ後、悟ったように母グマのところから静かに離れてゆきます。
万感胸に迫るシーンでした。

それでは最後に「知床旅情」をどうぞ。





(付記)

ここではご紹介しませんでしたが、番組の中でユネスコの調査団と大瀬さんが対峙する場面がありました。
調査団のリーダーは小さな砂防ダムと橋の撤去を求めましたが、大瀬さんはサケが遡上できるのであれば砂防ダムを撤去することは考えてもいいが、道路は病人が出たり海が荒れた時のために必要だからダメだと譲りませんでした。
その時、調査団の周りを大きな三匹のヒグマが威嚇するように集まってきて、リーダーはぎくっと身構えましたが、大瀬さんがじっと睨むと退散していきました。
調査団は信じられないという面持ちで、これまで1件の事故もなかったという説明を半信半疑で聞いていました。
彼らは人間と自然の間にくっきりと線引きし、お互いに侵入しないという考えなので、噛み合いませんが、大瀬さんは「人間も自然の一部であり、分けるのはおかしい。ヒグマと人間が共存していることがルシャの価値だ」と堂々としていたのが印象的でした。
ただ、この共存スタイルは微妙なバランスの上に成り立っていて、たった一人でもそれを理解しない馬鹿者がいれば一瞬で崩壊してしまいます。
大瀬さんがいなくなると、ルシャはどうなるのか気になるところです。

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