皮をかぶる
クマにまつわる話を読んでいたら、部族によっては(アイヌのように)クマを神と崇め、呪術師がクマのお面をかぶったり、場合によってはクマの皮をかぶったりしてクマになりきり、そのパワーを借りるとあった。有名なラスコー洞窟の壁画の中に、動物(トリ)の頭をつけた人間が描かれているが、あれも仮面を被ったシャーマンなのだそうだ。
ラスコーのトリ人間 |
部族によって「タカを崇める一族」「クマを崇める一族」など特定の動物を族霊と決めたそうだから、ラスコーの人は「トリを崇める一族」だったのかもしれない。
どうしてこんなことをするかというと、タカやクマのような強い動物のパワーを身に付けたいと考えるからで、シャーマンはクマの皮をかぶってトランス状態になり、通常では考えられないような優れた能力を身にまとうことができるという。
そういえば、以前読んだ冒険小説「氷雪の特命隊」の中にも、フィンマルクに住むサミの老人が「猟師はクマの鼻面を切り落とし、自分の顔に結んで、その時だけクマになる」と言う場面があった。
催眠術は人間の中に眠っている隠れた才能を引き出すことができるとされているが、クマの皮をかぶったりすることはこの催眠術と似たような働きを持っているにちがいない。
ところが話はこれだけにとどまらず、「能力開発技法」の中に"有名な人や憧れの人になりきることによって自分自身の隠れた才能を引き出すテクニック"(モデル思考)なるものがあって、それが未開民族のシャーマンと同じことをすることを知った。
つまり、意識を分かち合いたい人の"頭をかぶる"ことにより、その人自身になりきるのである。もちろん想像の中で、だが。
簡単に要約すると、核心部はこんな具合。
- 目を閉じて、これまでに体験した非常に美しいシーンの中に自分がいるところをイメージする
- そこに意識を分かち合いたいと願っている人が登場する場面を想像する
- その人の中に入り込むために、その人の後ろに立っているところを想像する
- 自分の目や耳がその人の目や耳と同じ位置になるよう、漂いながらその人の体の中に入っていく
- その人の目で世界がどのように見えるか体験する
- 今まで自分が見ていたのと違う部分があれば、(ボイスレコーダーに)それを詳細に説明する
- その人の中から出て元に戻り、感謝の気持ちを述べる
- この体験を何度か試したら、今度は自分が習得したい技術を選び、その分野で最高の人物の中に入り込んでその技術をその人物を通して実際に体験する(数分間で良い)。
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、以上のテクニックは実際に効果があることが確かめられているそうだ。一例を挙げると、
それまでバイオリンに触ったこともなかったメアリーは、この実験に参加して正規のレッスンを2回受けただけで先生から「上級クラス」に入れると言われた。(メアリーは自分がハイフェッツになったと想像し、全感覚を使ってその"体験"を楽しんだだけ)
このテクニックから、私は映画「マルコヴィッチの穴」を連想した。
ハリウッドスターのジョン・マルコヴィッチ(実在)の頭の中につながる穴が、歩くのに腰をかがめないといけないほど天井が低い7.5階(笑)にあるオフィスに存在していて、それを知った主人公は密かにマルコヴィッチの世界を楽しんでいたが、やがてその穴を使って商売を始め、ついにはマルコヴィッチ本人もやってきて・・・という奇想天外の物語だが、人間が他の誰かになり切れれば、その人の能力も(一時的にせよ)全て自分のものになるという発想は昔からあったわけだ。
この理屈について考えてみた。
人間の制御系はどれも全てアクセルとブレーキの二系統からなっている。しかしたとえば握力を測るとき、「えいっ」と叫びながら握るだけで人によっては声を出さないときの三割増しの力が出るそうだ。
火事場の馬鹿力だ。
さらに、上腕の肘から先にある筋肉に命令を送る神経に(脳を介さずに)直接高圧電流を流すと、五割ないし八割増しくらいの力が出るという。もともと備わっている潜在的な力が出力されたのだ。
これは、脳から常に出ている「力を入れろ」と「力を出すな」という二種類の指令のうち、後者を完全にカットし前者だけを有効にしたために起きる現象だと考えられている。
ブレーキから足を離し、アクセル全開にした場合だ。(もちろん、安全装置を外しているので故障を引き起こすリスクは高まる。)
催眠術や動物の皮をかぶることやモデル思考は、この場合のブレーキから足を離すことに相当するのだろう。
ここから先は想像だが、このような一種のトランス状態を経験し、一時的に別の人格になりきる体験を繰り返すと、自分の中に本当に別人格(先のメアリーの例ではハイフェッツ人格)が形成されていくかもしれない。私は人間は変わることができると信じているが、皮をかぶることはそのための一つの近道であると思う。
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