引きこもり生活へ
最近はニュースサイトの記事を読まなくなりました。日経なんとかというサイトなどです。
理由は二つあり、一つは有料記事ばかりになったことです。下手なブログと似たり寄ったりの記事を読むのにどうして金を払わなくてはならないのか。
もう一つは不愉快なニュースがあまりに多いので、読めば読むほど気分が悪くなるためです。
後者に関して言えば、最近は新聞もニュース番組も見なくなりました。電波芸人の顔を見なくて済むのでせいせいするし、日本が壊れていくのを知らなくて済むので精神衛生には非常によろしい(どうせ自分の方が先に逝くし)。
新聞は、新聞紙が欲しいから購読しているようなものです。
浮いた時間に何をしているかというと、家事をしているか、ジムに行っているか、本を読んだり録画した映画を見ているか、寝ているかです。それでも結構忙しいので、ニュースを遠ざけて良かったと思っています。
別に知らなくても生きていくことはできますから。
これって、つまり、どんどん引きこもっていることになります。
でも、私のような生き方を欲する人が増えるのは、歴史的には初めてではないようです。
ヘレニズム時代というと、ギリシァ時代とローマ時代の間、例のアレクサンダー大王が東方遠征していた頃ですが、それをきっかけとしてアラブからインドに至る広大な地域にギリシァ風の都市がたくさんできました。
ところがそれに反比例するように、本国のギリシァは衰亡し、食えなくなったギリシァ人が大量にこれらの地域に移住して、「ヘレニズム文化」が生まれたのだそうです。
その特徴は今でいうところのグローバル化みたいなもの・・・と私は勝手に思っています。
そして、あらゆる種類の学問が花開いたギリシァ時代と言いますが、あれは実はヘレニズム時代のことで、その成果の上に当時の人々は「完全な理性の時代」がまもなくやってくると思っていたそうです。
しかし、この時代に流行っていたのは実は「引きこもりの思想」でした。
他人に乱されぬ平安は・・・世間に隠れた静かな暮らしから得られる。
エピクロス
かつて自分たちの誇りであり、心の拠り所でもあったポリスを失い、得体の知れぬ広大かつ無境界の「世界」の前に投げ出された「自由な」ギリシァ人たちは、その自由に立ち向かうに頼りない理性しか持たない現実にひるみ、引き篭ったりカルト宗教に走ったりしたそうです。
日ごと自己責任の重荷に怯えるくらいなら、なるべく世間の荒波に身を晒すことなく引きこもり、占星術の決定する「運命」に身を任せた方が楽だということでしょうか。
やがて彼らの前に登場したのは帝政ローマでした。
なんと現代の我々に似ていることかと思ってしまいます。
コメント