辻邦生さんの死んだ頃

今日は整形外科へ行き、帰りは自宅まで約3キロを歩いて帰りました。
パワーウォークで頑張ったので、汗びっしょりとなり、全部着替えました。
でも、歩数だけで見るとたったの4,000歩。

汗を拭き新しい服に着替え、普通ならさっぱりしたいい気分になるはずなのに、なぜか気分が沈んでいます。
最近時々思うのですが、自分の死期が近づいているような気がするのです。
深い部分で相当衰えている気がします。
それで思い出すのが辻邦生さんの死です。

辻さんは晩年、自動車事故が原因で脳梗塞を起こし、幸い体は動いたのですが体の深部が異変を起こしたようで、次第に元気がなくなり、最後は心筋梗塞で亡くなりました。

今の私の年齢です。

奥様によると、

亡くなる前年の夏、夕方になると、シュヴァルツコップフの歌うリヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」をよく一緒に聴いていた事がある。二番目の歌(九月)の高揚したメロディーと歌詞がとくに痛切な情感を誘うため、二人ともその部分が好きだった。(中略)アイヒェンドルフの詩「夕映の中で」(Im Abendrot)による第四の最後の歌は、次のように終わる。「こんなにも深い夕映に包まれ、歩み疲れ果てた私たちがいる。これがもしかすると死なのだろうか」。ドイツ語の歌詞をよく知っていたに違いない邦生は、この言葉をどんな想いで聴いていたのだろう。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして

亡くなる一週間くらい前から、午後のマーラーなどを聴く時間帯のあと、西向きの大きな窓に面した椅子に、日が暮れるまでじっと座っているようになった。「風のトンネル」を見つめている気配を感じて、私は静かに一人にしてあげたいと、声もかけられなかった。

同上

そして運命の7月29日がくる。

あの日、買い物の途中で気分が悪くなり、「どうしたの?」と頭を抱き抱えるようにしてベンチに座らせた時には、もう眼の表情が変わり、おそらくそこで息が絶えたのだと思う。私は「おしまい」であることを知り、「ごめんなさい」としか言えなかった。

辻邦生のために

リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」は私も大好きな曲です。
最後の「夕映の中で」は、こんな歌詞です。

Ⅳ.Im Abendrot

Wir sind durch Not und Freude
Gegangen Hand in Hand.
Vom Wandern ruhen wir (beide)
Nun überm stillen Land.

Rings sich die Täler neigen,
Es dunkelt schon die Luft,
Zwei Lerchen nur noch steigen
Nachträumend in den Duft.

Tritt her, und laß sie schwirren,
Bald ist es Schlafenszeit,
Dass wir uns nicht verirren
in dieser Einsamkeit.

O weiter, stiller Friede!
So tief im Abendrot.
Wie sind wir wandermüdeー
Ist dies etwa der Tod? 

4.夕映の中で

私たちは苦しみと喜びとのなかを
手に手を携えて歩んできた
いまさすらいをやめて
静かな土地に憩う

まわりには谷が迫り
もう空はたそがれている
ただ二羽のひばりが霞の中へと
なお夢見ながらのぼってゆく

こちらへおいで ひばりたちは歌わせておこう
間もなく眠りの時が来る
この孤独の中で
私たちがはぐれてしまうことがないように

おお はるかな 静かな平和よ!
こんなにも深い夕映に包まれ、
歩み疲れ果てた私たちがいる
これがもしかすると死なのだろうか?

歌もお聴きください。深々とした情感に包まれます。




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