渡辺一夫
この仏文の碩学の名前を知ったのは、多分加藤周一の『羊の歌』でだったと思う。
学生時代に読んだその本のなかで、まるで神を崇めるかのような調子で渡辺先生、渡辺先生と書かれていれば、いやでも記憶に残るというものだ。
戦争中、自分が正気を保てたのは渡辺一夫がいたからだ、とまで述べられていたこの人物は一体どんな人だろう、とは思ったものの、専門がラブレーというのでは敷居が高すぎた。
ところが、たまた本郷の古本屋を逍遥していた時、ボロボロで至る所に朱が入った古書を見つけ、渡辺一夫の校正本であることを知って早速購入した。それほど高くなく、あるいは古本屋が価値を知らなかったのではないかと思ったものだ。
それがこの『トリビュラ・ボノメ』である。
『トリビュラ・ボノメ』 |
末尾には改訂版のための後書きが(もちろん全て手書きで)付けられている。
渡辺一夫自筆原稿 |
掘り出し物もいいところだ。
当時の東大仏文教授陣は「超」のつく秀才ばかりで、親分の辰野隆(父親はあの東京駅を設計した辰野金吾)をはじめ鈴木信太郎、森有正、鈴木力衛、中島健蔵、中村真一郎といったそうそうたる連中がしのぎを削っていたという。
鈴木力衛はすでに一高時代にホメーロスをギリシァ語で冒頭からスラスラ暗唱してフランス人の教師を驚かせたそうだし、中村真一郎は夏休みに毎日一冊ずつフランス語の本を読むという課題を自分に与えなし遂げたそうだ(そのためノイローゼになった)。英語の本ですら何ヶ月もかけないと読了できない私から見たら、雲の上の人というだけでは言い足りない人たちだ。
その中でも渡辺一夫の秀才ぶりは目立っていたらしく、誰もが一目置く存在だったらしい。
彼の自宅は本郷の真砂町で、明治大正の文学史には必ず出てくる菊坂に隣り合った場所だったそうだ。菊坂はずっと北西方面に降っていくと西片に出る道で、あのあたりを歩くと東大の本郷キャンパスが高台にあることがよくわかる。その真砂町の自宅で昼でも雨戸を閉め、電気をつけて読書に勤しんでいたのが渡辺一夫だった。
この本を手にすると、そんな彼の読書三昧の生活の匂いが感じられるような気がする。
ところで、渡辺一夫の家には学生時代の磯崎新が下宿していたという。
渡辺さんの息子さんに数学を教えていたのだそうだが、学生時代に渡辺邸を頻繁に訪れていた辻邦生さんの軽井沢の別荘は、その時知り合った磯崎新が設計したものだそうだ。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した磯崎新は、こんな個人の別荘も手掛けていたのだ。
別荘は何度か公開されているようで、もし機会があれば私も参加したいと思っている。
辻邦生さんの軽井沢の別荘 |
今日は「家宝」の渡辺一夫本について書きました。
おまけはこの子たち。
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