愛読しているブログ2
山小屋のブログです。
厳密に言うとブログではなくホームページですが、そこに小屋のオーナーさんが時々書く記事に癒されています。
仙人小屋については、以前日記で触れたことがあります。こちらでご覧いただけます。
日記では、"齢60歳をかなり超えたおじさん"と書いてありますが、実際には現在71歳くらいだと思われます。この年齢で、山中奥深い黒部の秘湯と山小屋を守っていくのは本当にしんどい話です。
後何年続くかわからない小屋なので、私もできるだけ早く訪れたいと思っています。
仙人小屋の遠景:中央に屋根が小さく見える |
自慢の露天風呂。山中の秘湯です。 |
小屋での暮らし。雪で小屋が傾いている。 |
一言で言えば、浮世離れしているからです。
そしてそこには、あの普遍的な「死と再生」のテーマが隠されているからです。
そのことはご本人も述べていて、人生の謎を解くのが旅(=日常からの脱出)であり、"山小屋はある意味で非日常的な生活空間であるから、(芭蕉のように)旅をしながら日を過ごす生き方と似ていなくもない"としています。
その背景には、苦労の連続だったこの人の人生の記憶が重く横たわっているようです。
15歳から配管工として建設現場で働きながら温めていた、ささやかな夢が山小屋で暮らすことだつた。仕事ばかりで終わる人生には耐えられなかったのだ。世の中の仕来たり、社会のしがらみの少ない生活が理想なのだが、実現することは難しい。人は人間社会の中でしか生きられない、と云う宿命がある。だから少しでも束縛のない生活をと夢を見る。 でも何故?と云う問いかけがあって、人生とは何なんだと考えこむようになる。
「人生は・・・」より↑
愚生の家庭は混乱していたので、中学一年の時に新聞店に住み込んで働きながら通学をしていた。独りぼっちにも貧しい食事にも慣れている。それは辛抱できる。我慢できないのは、建前とへつらいと嘘だけの世の中だ。
そんな社会に背を向けて40年間、心の世界を漂泊した。そして辿りついた仙人温泉小屋では本音だけで暮らせるのが嬉しい。が、本音だけの赤裸々な生活は責任が重大だ。真実と自由、そのプレッシャーに押しつぶされそうになる。でも、頼りがいのある仲間が支えてくれるので心強いのだ。
仙人谷の樹木を見ると、地面から真っ直ぐに成長している木は皆無である。根元が2mも横倒しになったその先からの枝が直立している。その姿は6mを超える積雪に耐えて成長した証しなのだ。
少年時代に社会の重みに押しつぶされて育った愚生のその後の50年の歳月はもう真っ直ぐにはならない。横倒しの人生をずっと歩いてきたけれど、残りの人生は仙人谷の樹木のように直立して生きたい。山小屋には心強い仲間がいる。嘘や建前やへつらいとは無関係な仲間とともに、真っ直ぐに生きたいとしみじみ思うのだ。
「山小屋セレナーデ」より↑
ちなみに、冒頭に再掲した日記のクイズの答えは「白馬岳」であり、写真はこの「仙人小屋」から見た景色です(もちろん望遠)。
白馬岳は何度も登っており、その頂上山荘(白馬山荘)にも宿泊したことがありますが、東側から大雪渓・小雪渓と登って目の前にホテルのような山荘が見えてくるので、てっきり東側の斜面に建っているものと思い込んでいました。実際には、登山道のある稜線が少し北東に回り込んでおり、頂上山荘はこの写真のように西側の黒部の方から見えるんですね。
ちなみに、唐松岳の頂上山荘もやはり西側斜面にあるので、これと同じように見えます。
唐松岳山荘 |
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