病と詩

アフタークリニックの元会員さんで統合失調症の方がおられますが、歌を詠まれる方で、地方紙に時々入選作が紹介されていました。
とても頭の良い方で、その方のブログも歌ばかりですが、今でも時々それを拝見している私は、この病気の「業」とでもいうものを感じ、つくづく大変だなあと思ってしまいます。

一言で言えば鋭敏に過ぎ、物事の感じ方・受け止め方が批判的に過ぎるのです。
自分にも他人にも厳し過ぎるのです。
世界が許せないのです。
そして自虐に走り、世界を攻撃します。
もし身近にこういう人がいると、周囲は息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つ瞬間を体験せざるを得ないことでしょう。


鋭敏過ぎる感受性を持て余し、やがて歌や詩を読むことで絶望に抵抗した例は、枚挙にいとまがありません。ランボー然り、正岡子規然りです。
子規の写生文を「死の病にある者がそれを無視して余裕ぶっている」と批判する向きもあるそうですが、辛い現実から距離をとる方法としてあり得るのではないでしょうか。

子規は「仰臥漫録」を書きましたが、「横臥漫録」なる食事記録をツイッターで続けている先天性筋ジストロフィーの患者さんがいるそうです。
菊池洋勝さんという方で、まあすごい句を読んでいます。

余命半年の変態髪洗う
看護婦の透ける下着も春めける

二番目の句などちょっと問題ありですが、その彼はこんな句も詠んでいます。

春爛漫ナースに糞を褒めらるる

これを紹介している俳人の外山一機さんは「誰が自分の糞を他人に見られたいものか」とコメンしています。

その他、

動かない足と知ってか蚊の懐(なつ)く
グラビアの乳に挟まれ逝く蚊かな
呼吸器で膨らむ胸や夏蒲団

いずれも凄まじい病気の現実があり、あらゆる批評を拒む迫力があります。

"ここにあるのは、病を抱える者がいつしか会得した自虐的なまなざしだ。子規とは違うが、このまなざしをもって性と生を詠うことで、菊池もまた絶望に抵抗してきたのではなかったか"(外山一機)

こんな句も詠んでいるそうです。

呼吸器と同じコンセントに聖樹

聖樹とはクリスマスツリーのことだと思いますが、コンセントから流れくるわずかな電気でクリスマスツリーも自分の命も輝いている。寒々と安っぽくではあるが、それなりに美しく・・・という意味でしょうか。

壮絶な肯定の歌であると思います。

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