山田真貴子内閣広報官の辞職
山田真貴子内閣広報官が例の接待問題で辞職したというニュースですが、まだ一週間しか経っていないのに、もう半分忘れ去られつつあるようです。
忘れてはいけないと思うので、覚えていることを整理しておきます。
何が原因で辞任したのかというと、菅首相の長男(バカ息子)による接待会食を受けたことだそうで、これはもちろん公務員倫理規定に違反しています。
その接待ですが、ひとり74,203円のステーキ&海鮮ディナーだったそうで、この金額についてまずあり得ないという印象を持ちました。
たとえば、国民年金を40年間払い続けても貰える金額は(昨年の値では)781,700円、月に直すと65,141円です。
たったの65,000円しかもらえず、これで一ヶ月暮らすことは事実上無理な金額です。生活保護費(家賃を除く)もこれとほぼ同額ですが、こちらは申請しても「自助」を口実に窓口で門前払いされるのがオチです。
日本はどんどん貧しくなっていて、セーフティネットから弾かれてネットカフェで生活するいわゆるネットカフェ難民は都内だけで4千人!もいるそうですし、それどころか明日の食べ物にも事欠いて自ら命をたつ国民がたくさんいる国ですが、国民年金の一ヶ月の給付額を1万円以上上回る金額を国家公務員が一晩の接待ディナーで消費しておかしいと感じない神経にまず驚かされます。
そんな現実を尻目に、「バカ息子」の父親が「総務省初の女性事務次官にしてやる」と言ってはばからないほど寵愛していた女性官僚が山田真貴子なのですが、その「バカ息子」の写真が文春に出て、それを見て二度びっくりでした。
長髪・口髭で、だらしなくネクタイを緩め、咥え煙草でスマホを見ているそのチャラい姿は、まるで歌舞伎町あたりの路上でたむろしている悪ガキみたいです。
しかし、この人物はれっきとした衛星基幹放送事業者の認可を受けている東北新社の部長兼子会社の衛星放送「囲碁将棋チャンネル」の取締役(当時)なのだそうで、こんな人物の下で働く社員が可哀想でなりません。
しかも、億ションのみなとみらいのタワマンに住んでいるそうです。
よほど腕が立つのかと思いきや、事実は真逆なのが怖いところです。
この長男は、明治学院大を卒業したものの就職もせずにバンド活動をしていたそうですが、菅(当時総務大臣)の一声で自身の秘書官(特別職公務員)に抜擢されました。
なぜ長男を秘書官にしたのかと聞かれ、「バンドを辞めてプラプラしていたから」と答えた話は有名です。
プラプラしていれば特別職公務員になれるのかと顰蹙を買いましたが、これもいつの間にかうやむやになってしまいました。
秘書官時代にまったく仕事ができないため「バカ息子」と陰口を叩かれた長男は、秘書官も半年しか続かず、その後菅氏と同郷(秋田県出身)で後援者でもある東北新社の創業者、故植村伴次郎氏(2019年没)のツテで同社に入社することになりました。
そのあとはとんとん拍子で出世し、上に述べたように会社幹部に収まります。
ここまで好き勝手な振る舞いができたのは、菅義偉がもともと”総務省のドン”だったからです。
私たちは彼を官房長官のイメージで見がちですが、彼は小泉内閣で竹中平蔵が総務大臣のとき、「総務副大臣(情報通信、郵政担当)」として総務省内部統制のトップを任され、人事権なども行使して、総務省に睨みをきかせるようになったのがそもそもなのです。
その後安倍内閣で総務大臣に上り詰め、その権勢を絶対的なものにしました。
今、総理になった彼が携帯料金の引き下げやデジタル庁新設などを矢継ぎ早に打ち出したのは、この分野が彼のシマだからです。
「バカ息子」だけではなく、菅氏の実弟もスポンサー企業のJR東日本に縁故入社しているそうです。
これによると、
1987:菅義偉が横浜市会議員に当選
1989:実弟が菓子店を起業、一等地で開店
2002:倒産し自己破産
半年ほど病院で介護職として働く
2003:JR東日本の子会社である千葉ステーションビルに営業部付きの部長として入社
2010:取締役に就任
JR東日本の子会社に入社した時には、すでに50歳を過ぎていたそうで、自己破産して、病院で介護の仕事をしていた50歳を越えた男性が、いきなり優良企業の部長として再就職したというあり得ないようなシンデレラストーリーです。
菅義偉といえば、別名「スガーリン」と言われる通り、人事権を駆使して官庁を”恐怖支配”するやり方が有名です。たしかに彼には陰湿で強権的な「公安警察」「特高」の匂いがプンプンします。
それは横浜市役所時代に培われたものだそうで、当時「影の横浜市長」とまで言われたほどだったそうです。
総務省時代、NHKの受信料値下げに抵抗した担当課長を更迭したとき、権力を行使したことに興奮を隠せない様子で「課長を飛ばしたよ、飛ばしてやったよ」と言ったという話も伝えられています。
霞ヶ関も横浜市庁舎と同じように”恐怖支配”することに成功した瞬間でした。
そして、その菅方式でメディア支配を行おうとした尖兵が山田真貴子だったのです。NEWSポストセブンから引用します。
そもそも山田氏の広報官としての強権ぶりは官邸記者たちにすこぶる評判が悪かった。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読み回答をするだけだった。こんなものは記者会見とは呼ばない。中国か北朝鮮の国営メディアのインタビューと同じである。その会見で山田氏は、政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視して、いくら手を挙げても指さない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者を制止し、最後は「このあと日程があります」と、質問の途中でも強引に会見を打ち切って首相を逃がすガードマンの役割だった。
これに逆らえない記者クラブも情けないと思いますが、実は記者クラブが山田真貴子に逆らえないのは、2008年に新設された総務省「情報流通行政局」が大手メディア全てに睨みを効かせているからだと言われています。
メディアもすでに菅方式で締め上げられているのです。
安倍内閣、菅内閣により、ネポティズムが蔓延しただけでなく、民主主義の構成要素の一つ、ジャーナリズムによる政治権力の監視機能が崩れかけている現実に恐怖を感じてしまいます。
ちなみに、小室直樹さんは民主主義についてこう述べています(要約)。
民主主義の公理(大前提)は二つある。
- 国家は(しようと思えば何でもできる)怪獣である
- 政治家は(権力を得るためにはどんな悪辣なことでもする)悪魔である
つまり、政治家という悪魔が権力という怪獣を獲ろうとする争いが政治であるというのです。これは何とかしないと大変なことになると考えるのです。それが民主主義思想だそうです。
しかし、日本で信じられている儒教的政治思想は真逆です。すなわち
- 政治が良ければ全てが良くなり、政治が悪ければ全てが悪くなる(何でもかんでも政治のせい)
- 政治家は聖人君子でなくてはならない
したがって、良い政治家(君子)に政治をしてもらえば国は良くなると考えています。
パンケーキが好きな良い人らしい菅さんに良い政治をしてもらえば、日本は自然と良い国になるのだから、揚げ足を取ってばかりのジャーナリズムは退場してもらいたい、と真面目に考えている日本人は多いことでしょう。
しかし、続けて小室さんはこう指摘します。
この二つの公理から導かれる大定理が次の二つである。
- 民主主義は、ちょっとでも油断すると、たちまちその反対物に転化する
- 民主主義であるためには、「人民による不断の監視」が必要である
そして、この恐ろしい権力を人民が不断に監視できるようにする仕掛けが
- 三権分立と選挙制度
- ジャーナリズムによる監視
である。
このジャーナリズムによる監視を弱め、できることなら無くしてしまおうとしてきたのが、安倍晋三であり菅義偉なのです。
日本のジャーナリズムが進歩的マスコミ人に牛耳られ、左翼に都合の良いことしか報道せず、都合の悪いことは無視し、時に捏造までして恥じないジャーナリズムの名に値しない存在であったことはよく指摘されることですが、今度は逆に、政権に都合の良いことしか報道せず、都合の悪いことは無視する傾向が目立ってきました。
何でもかんでも政治のせいという日本の「政治思想」は、けしからん発言は政治権力で潰してしまえば良いという発想を容認しがちですが、菅義偉はその先頭に立って旗を振ってきた人物であり、そのパワーをまず第一に自分のファミリーのために活用したのだと思います。
コメント