毎日汗を/呼吸 呼吸 呼吸
昨夜は割と良い睡眠が取れました。
昨日の一発逆転早朝ウォーク+ジムの二連発が、こたえたのかもしれないと思いつつ、朝の諸事が終わってからベッドの上でダラダラ。
午後も三時間ほど過ぎた頃、こんなことではダメでしょ、と奮起して、近所を少しウォークしてきました。
こんな時、ボタンひとつでログが取れるガーミンは本当に便利です。
3.1km、43分、平均心拍数114bpm、6726歩のウォークでした。
帰宅して汗びっしょりになった服を全部着替え、コーヒーを入れて一服したら、これが至福のひとときでした。涼しくなってきたし、ジムに行くとはいえ、やっぱり毎日少しは運動したほうがいいと思いました。
全身の細胞に酸素をたっぷり行き渡らせることが健康には一番!と言う塩谷信男さんの言葉を、コロナ禍の日々によく思い出しました。
彼は酸素不足は高山病のようなもので、疲れやすくいつもストレスに喘いでいる現代人は慢性の高山病にかかっていると考え、腹式呼吸を発展させた独自の呼吸法を編み出しました。
確かにコロナの症状は高山病、そして現代人の不調とよく似ています。
頭痛、動悸・息切れ、吐き気、全身疲労、苦痛・・・。
その原因が酸素欠乏であることは、症状が軽いうちなら酸素吸入でみるみるよくなることからも明らかです。
これらは脳細胞の酸素不足から発症しますから、酸素不足はまず脳に対するダメージとして現れ、やがて全身の細胞がやられていくようです。
高山病は高山に行かないと発症しないので、平地で暮らしている現代人は自分には無縁のものと考えがちですが、実は呼吸が浅いために平地でも起きていると塩谷さんは指摘しています。
何となく気分が重いとか、すっきりしない、決断力が低下している、何かをやろうという気力が湧いてこない・・・確かにこれらは高山病の初期症状と同じですが、これこそが病気の前駆症状なのだそうです。
病気の八割は高山病(=酸欠症状)から始まる、と言うのが塩谷説です。
彼自身は自ら開発した呼吸法で106歳目前まで生きました。
しかし、その最後はピンピンコロリではなく、寝たきりだったそうです。その経緯は息子さんが書いている通りですが、要するに歳を顧みず頑張り過ぎたのが行けなかったようです。
調子に乗って頑張りすぎる私も、他山の石としなくてはなりません。
若いときから玄米菜食。
ゴルフはシングルで、93歳で三回目のエイジシューティング。
自ら編み出した呼吸法の普及に全国行脚。
俺は120歳まで生きて見せると言った親父が、夕べ106才マイナス10日で息を引き取った。
十分に生きたと思う。だが、ピンピンコロリではなく、最後の6年間は寝たきり生活がつづいた。
100歳のとき、今一度エイジシューティングに挑戦すると頑張りすぎて、体調を崩し寝込んだのである。
ある晩、マンションのエレベーターの中で倒れているのが見つかった。
大腿骨折と脳梗塞の併発。どちらが先か、また同時かも分からない。
取り合えず、大腿骨骨折の手術を行った。だが、覚悟してはいたがその後認知症となり、意思疎通もママならなくなった。その後ケアホテルでリハビリを続け、数年後特養に移り、一月前肺炎を併発し、三井記念病院に搬送。手厚い看護もむなしく、急速に衰弱が進み血圧が下がり、脈もかすかになり、やがて呼吸も止まった。
この6年というもの、自分の親が崩壊して行くのも見続けるのは辛いものがあった。
百歳までのかくしゃくたる姿が印象的だっただけに、“俺はな、120歳になったら、バイ、バイと皆に手を振って霊界に行くからな、心配するな。”と大言していただけに、うつろな、やせこけた親父を見るのは情けなかった。
特に最後の入院期間はかすかな希望と医療のむなしさとが入り乱れた、複雑な思いの一月だった。
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